腫物草子 十一

こどくな腫物は
ひとりになれています
もともとこどくだったからです
しかし本物の腫物は
そのこどくにたえれません
だからかれも本物の腫物を
腫物にはできないのです

腫物草子 十一

こどくな腫物は
ひとりになれています
もともとこどくだったからです
しかし本物の腫物は
そのこどくにたえれません
だからかれも本物の腫物を
腫物にはできないのです

採録・初出

散文詩自註|邑井らに

ひとりでいることに慣れている人は、孤独を感じないのでしょうか。私は、そうではないように思います。ひとりで過ごす時間が長いからといって、寂しさがなくなるわけではありません。ただ、誰かがそばにいないことを、特別な出来事として受け取らなくなることはあるのでしょう。誰にも話しかけられない一日があっても、いつもと変わらないように過ごすことができる。誰かに誘われなくても、自分の時間を使うことができる。それは、孤独を好んでいるということとも、孤独を望んでいるということとも、少し違うように思います。

この一葉では、「こどくな腫物はひとりになれています」と書きました。私は、ここで「孤独に強い」とは書いていません。「慣れている」と書いています。強いという言葉には、何かに打ち勝つような響きがありますが、慣れるということには、そうした積極的な意味が必ずしも含まれていないからです。何度も同じことを経験しているうちに、以前ほど驚かなくなる。苦しいことがあっても、その苦しさを抱えたまま日常を続けられるようになる。けれども、それは苦しみがなくなったということではありません。むしろ、苦しみがあることを、当たり前のように受け入れてしまっている場合もあるのだと思います。

続く「もともとこどくだったからです」という言葉には、少し寂しいものを感じています。腫物にされたから孤独になったのではなく、腫物にされる前から孤独だった。そう考えると、腫物にされることによって生じる変化も、少し違って見えてきます。周囲から遠ざけられても、それまでと同じようにひとりで過ごしている人がいるかもしれません。誰かとの関係が失われても、そのことを周囲に訴えず、静かに暮らし続ける人もいるでしょう。しかし、もともと孤独だったということは、その人が生まれつき孤独な人間だという意味ではありません。これまでの人間関係や経験のなかで、ひとりでいることに慣れてしまったということなのかもしれないのです。

第七葉では、腫物になったことで、いじめられなくなった代わりに孤独になったと書きました。そして第十葉では、自分の孤独を腫物であることだけでは説明できないと考えました。この第十一葉では、その孤独が、どのように経験されるのかに目を向けています。腫物にされたことによって、初めて孤独を知る人もいるでしょう。けれども、それ以前から孤独を知っていた人にとっては、腫物にされることが、すでに慣れ親しんでしまった状態へ戻されることのように感じられるかもしれません。同じように人から遠ざけられていても、そこに至るまでの経験によって、その人が感じるものは違ってくるのでしょう。

ところが、この一葉では、「しかし本物の腫物はそのこどくにたえれません」と続けています。孤独な腫物は、ひとりでいることに慣れている。一方、本物の腫物は、孤独に耐えられない。ここで私は、二つの腫物を、孤独との関わり方によって対照させています。第八葉では、本物の腫物とは、腫物として扱うことさえできない存在なのではないかと考えました。周囲の人々が気を遣い、触れることを避けているにもかかわらず、その人を腫物として遠ざけることはできない。私は、その不思議な関係の背後に、孤独に対する恐れがあるのではないかと思ったのです。

たとえば、人から遠ざけられることに、強い不安を覚える人がいたとします。誰かに避けられれば、理由を知りたくなる。仲間から外されそうになれば、何とかしてその関係を取り戻そうとする。自分がひとりになってしまうことを恐れるあまり、周囲の人々に働きかけることもあるでしょう。もちろん、そうした振る舞いが、いつも悪いわけではありません。誰かから不当に排除されたとき、その理由を尋ねたり、関係の回復を求めたりすることは、正当な行為でもあります。ただ、その人を孤立させようとしたときに、周囲がどのような反応を予想するのかによって、その人への扱いは変わるのかもしれません。

ここで重要なのは、孤独に耐えられないことが、そのまま他人を傷つける性質を意味するわけではないということです。人と関わりたいと願うことも、ひとりになることを恐れることも、人間にとって自然な感情でしょう。けれども、その恐れによって、周囲の人々が何も言えなくなったり、その人との関係を自由に選べなくなったりすることがあるのだとしたら、そこには別の問題が生まれます。私は、本物の腫物という言葉を、そのような関係のなかで考えています。本人がどれほど恐ろしい人物なのかということではなく、周囲の人々が、その人を孤独にすることによって何が起こると考えているのか。その予想が、その人を誰も腫物にできない存在へと変えているのかもしれません。

そして、この一葉は「だからかれも本物の腫物を腫物にはできないのです」と結ばれます。私は、この「だから」という言葉に、前の二葉とは異なる意味を感じています。第九葉では、彼は腫物だから誰かを腫物にできる、と書きました。そこでは、彼自身の腫物性が、他者を腫物にする理由として語られていました。ところが第十一葉では、彼が本物の腫物を腫物にできない理由が、相手の側に求められています。本物の腫物は孤独に耐えられない。だから、彼もその人を腫物にできない。彼に何ができるのかという問題が、相手との関係によって決まっているのです。

けれども、私は、ここで一つの疑問を抱きます。孤独に耐えられない人を、なぜ腫物にできないのでしょう。孤独に耐えられないことと、誰かから遠ざけられないことは、本来、同じではないはずです。孤独を恐れる人であっても、実際には孤立させられてしまうことがありますし、孤独に慣れている人であっても、周囲から守られることはあるでしょう。だから、この一葉の「できない」は、絶対に不可能だという意味ではないのだと思います。彼は、本物の腫物を腫物にしたときに起こるかもしれないことを恐れている。あるいは、その人との関係を失うことによって、自分自身が不利益を受けるのかもしれない。そうした事情のなかで、彼にはその人を腫物にするという選択ができなくなっているのではないでしょうか。

そう考えると、私は少し複雑な気持ちになります。ひとりでいることに慣れている人は、遠ざけられても、何も言わずに過ごしてしまうかもしれません。一方、孤独に耐えられない人は、自分が遠ざけられることを拒み、周囲に働きかけるかもしれません。その結果、孤独に耐えられる人の方が孤立させられ、孤独に耐えられない人の方が、周囲との関係を保ち続けるということが起こり得るのでしょう。けれども、それは、孤独に慣れている人が孤立させられてもよいということではありません。何も言わずに耐えているからといって、その人が傷ついていないわけではないのです。

私は、ここに、この一葉の悲しさがあるように思います。人が何を感じているかということよりも、その人がどのように振る舞うかによって、周囲の扱いが変わってしまうことがある。孤独に慣れている人は、孤独にしても大丈夫な人だと思われてしまう。一方、孤独に耐えられない人は、孤独にしてはいけない人として扱われる。そうして、誰もが誰かを傷つけないようにしているつもりでいながら、実際には、傷つけても表立って何も起こらない人の方へ、負担が集まってしまうのかもしれません。

ただし、私は、本物の腫物を一方的に責めたいわけでもありません。孤独に耐えられないということは、その人にとっても苦しいことなのでしょう。誰かが離れていくことを恐れ、関係が失われることに怯えながら生きているのだとしたら、その人もまた、自分の恐れから自由ではないのかもしれません。第九葉で考えたように、誰かを腫物にできることと、誰かを腫物にできないことの背後には、それぞれの不自由があります。そして、その不自由があるからといって、誰かが誰かを腫物にすることまで正当化されるわけではないのです。

この一葉を書きながら、私は、孤独に慣れていることと、孤独に耐えられないことのあいだに、優劣をつけたいわけではありませんでした。ひとりでいられる人が強く、ひとりでいられない人が弱いということでもありません。ただ、人が孤独とどのように向き合っているかによって、周囲との関係が変わり、その結果として、誰が腫物にされ、誰が腫物にされないのかという違いが生まれることがあるのではないかと思ったのです。そして、もしそうなのだとしたら、私は、ひとりでいることに慣れてしまった人の静けさを、その人が孤独を望んでいる証拠として受け取らないようにしたいと思います。

本物の腫物は、その孤独に耐えられない。だから、彼も本物の腫物を腫物にはできない。そう書いてみると、私は、彼が誰を恐れているのかということ以上に、彼が誰なら孤独にしてもよいと思っているのかということが、気になってきます。ひとりでいることに慣れている人は、誰かから遠ざけられても、その苦しみを表に出さないかもしれません。けれども、表に出さないことと、苦しんでいないことは違います。そして、孤独に耐えられるということは、孤独にされてもよいという意味ではないのでしょう。私は、その違いを、彼にも、そして私自身にも、忘れずにいてほしいのです。

(邑井らに)

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くずし字による表現について

『腫物草子』では、現代の日本語で書かれた詩を、古活字によるくずし字で表現しています。

これは、古い書物の姿を借りて、現代の言葉を過去のものに見せようとする試みではありません。むしろ、私たちが普段何気なく読んでいる言葉も、その姿が変わるだけで、まったく違うものに見えてしまう。そのことに目を向けるための試みです。

見慣れない文字を前にしたとき、私たちはそこに書かれていることを、すぐには理解できません。けれども、読めないからといって、そこに意味がないわけではありません。文字が変わっても、語られていることまで変わったわけではないのです。

『腫物草子』が描く「腫物」もまた、誰かに初めから備わっている性質とは限りません。見る人が変われば、見え方も変わる。関わり方が変われば、それまで腫物とされていたものが、そうではなくなることもあるでしょう。

もちろん、文字が読めないことと、人が腫物として扱われることは同じではありません。ただ、私たちが何かを理解できないとき、その理由を対象そのものに求めてしまうことはないでしょうか。

くずし字による表現は、そのような認識のあり方を、文字を読むという身近な行為から問い直すものでもあります。

本作では、古活字画像を用いて現代日本語をくずし字に変換する「そあん(soan)」を使用しています。現代表記の本文も併記し、二つの文字の姿を行き来できるようにしました。

読めなかった言葉が読めるようになるとき、そこに書かれていたものは変わっていなくても、私たちの見え方は少し変わっているのかもしれません。

そあん(soan)

本作のくずし字画像の制作には、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)が公開する「そあん(soan)」を使用しました。

「そあん」は、江戸時代初期の「嵯峨本」に用いられた古活字を素材として、現代日本語の文章をくずし字画像に変換できるサービスです。

古典籍に残された文字をデジタル技術によって組み直し、現代の言葉に新たな姿を与えることができます。

そあん(soan)

そあん(soan)は、現代日本語テキストをくずし字画像に変換し共有できるサービスです。日本の出版史上もっとも美しい書物の一つと言われる「嵯峨本」の古活字を素材として、誰もがデジタル組版できるソフトウェア/サービスを提供します。

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