腫物草子 十三
腫物は自由だ
そしてわたしは腫物にされました
不自由をうばわれました
腫物草子 十三
腫物は自由だ
そしてわたしは腫物にされました
不自由をうばわれました
採録・初出
腫れ物は自由だ。そして私は腫れ物にされました。不自由を奪われました。
— TarCoon☆CarToon (@TKMS_all4A) October 15, 2024
散文詩自註|邑井らに
腫物は自由だ、と書きました。
少しおかしな言い方かもしれません。腫物にされることは、どちらかといえば不自由なことのように思われるからです。周囲から遠ざけられ、気を遣われ、何を言っても腫物として受け取られてしまう。そんな状態を、自由と呼ぶのは奇妙なことでしょう。
けれども、腫物として扱われる人は、ある意味で、誰からも何も求められなくなります。
反論されなくなる。注意されなくなる。頼みごとをされなくなる。誰かと意見をすり合わせる必要もなくなる。周囲の人々が、その人を傷つけないように、あるいは自分たちが傷つかないように、少しずつ距離を置いていくからです。
そうして、煩わしいことの多くがなくなります。
人と関わることは、思っている以上に不自由なものです。誰かの都合に合わせなければならないこともあれば、言いたいことを飲み込まなければならないこともあります。自分の思いどおりにならないことばかりです。
でも、そうした不自由のなかにしか生まれないものもあるのではないでしょうか。
意見が食い違うこと。頼りにされること。約束を交わすこと。思いがけず誰かの期待を引き受けてしまうこと。
それらは、ひとりでいるだけでは経験できません。
もちろん、不自由であることが、いつもよいことだとは思いません。人を縛りつける関係からは、離れた方がよいこともあるでしょう。ただ、そこから離れることを自分で選ぶのと、誰かによって関係の外へ置かれてしまうのとでは、ずいぶん違います。
この一葉には、「不自由を奪われました」という言葉があります。
「自由を奪われました」と書けば、もっとわかりやすかったのかもしれません。けれども、それでは、ここで感じていたこととは少し違ってしまうのです。
奪われたのは、自由そのものではありません。
誰かと関わることで生まれる不自由を、自分で引き受けたり、断ったり、ときには選び直したりする、その機会だったのかもしれません。
腫物にされた私は、誰からも触れられなくなりました。誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることも、以前より少なくなったのでしょう。
それを自由と呼ぶことは、できるのかもしれません。
けれども、誰にも触れられない自由を、私は本当に望んでいたのでしょうか。
この草子の最後に残ったのは、自由になれたという喜びでも、不自由になったという嘆きでもありません。
不自由を奪われてしまった、という、少し奇妙な喪失の感覚でした。
そして、その喪失を何と呼べばよいのか、私にもまだ、よくわからないのです。
(邑井らに)
腫物草子|ほかの葉
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腫物は自由だ そしてわたしは腫物にされました 不自由をうばわれました
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わたしを腫物にしてくれる彼は わたしではなく 彼じしんが腫物なのかもしれない
くずし字による表現について
『腫物草子』では、現代の日本語で書かれた詩を、古活字によるくずし字で表現しています。
これは、古い書物の姿を借りて、現代の言葉を過去のものに見せようとする試みではありません。むしろ、私たちが普段何気なく読んでいる言葉も、その姿が変わるだけで、まったく違うものに見えてしまう。そのことに目を向けるための試みです。
見慣れない文字を前にしたとき、私たちはそこに書かれていることを、すぐには理解できません。けれども、読めないからといって、そこに意味がないわけではありません。文字が変わっても、語られていることまで変わったわけではないのです。
『腫物草子』が描く「腫物」もまた、誰かに初めから備わっている性質とは限りません。見る人が変われば、見え方も変わる。関わり方が変われば、それまで腫物とされていたものが、そうではなくなることもあるでしょう。
もちろん、文字が読めないことと、人が腫物として扱われることは同じではありません。ただ、私たちが何かを理解できないとき、その理由を対象そのものに求めてしまうことはないでしょうか。
くずし字による表現は、そのような認識のあり方を、文字を読むという身近な行為から問い直すものでもあります。
本作では、古活字画像を用いて現代日本語をくずし字に変換する「そあん(soan)」を使用しています。現代表記の本文も併記し、二つの文字の姿を行き来できるようにしました。
読めなかった言葉が読めるようになるとき、そこに書かれていたものは変わっていなくても、私たちの見え方は少し変わっているのかもしれません。
そあん(soan)

本作のくずし字画像の制作には、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター(CODH)が公開する「そあん(soan)」を使用しました。
「そあん」は、江戸時代初期の「嵯峨本」に用いられた古活字を素材として、現代日本語の文章をくずし字画像に変換できるサービスです。
古典籍に残された文字をデジタル技術によって組み直し、現代の言葉に新たな姿を与えることができます。
そあん(soan)
そあん(soan)は、現代日本語テキストをくずし字画像に変換し共有できるサービスです。日本の出版史上もっとも美しい書物の一つと言われる「嵯峨本」の古活字を素材として、誰もがデジタル組版できるソフトウェア/サービスを提供します。
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