本記事では、電子文芸誌『ハツデン...!』「労働」特集に寄せた寄稿文を土台に、TarCoon☆CarToonとして、近代が培った“勤勉という信仰”をいったんほどき、労働は義務か/それとも投資かという問いから、「祭祀としての仕事」「象徴資本の循環」「余白が生む連帯」についてTarCoon☆CarToonの実感と試論を語ります。
それは、働くことを価格の論理だけで測らず、関係の厚みとして数え直せるか?という問い。
「善き仕組みは人を救うのか、それとも縛るのか?」という逡巡を軸に、義務と投資、成果と儀式、効率と“ぬるさの自由”のあいだで揺れ続ける生の倫理を描き出す試みです。
“仕事を信仰から解き、関係の祭祀へ移す”──TarCoon☆CarToonが綴る、もうひとつの働きかた。
長時間を美徳としない、「4時間以外」に文化と遊びと連帯を取り戻すための、小さな設計図。
*本記事は、雑誌『ハツデン...!』「労働」特集に「労働は義務か、それとも投資か──近代賃労働教を超えて、祭祀としての象徴資本へ」という題で寄稿した原稿を基にしています。ぜひ本誌でもご覧ください。
*本記事は、雑誌掲載版に加筆・再構成した増補版です。