おいらがなんでいつも抽象的なことをよくいうのかというと、風呂敷を広げたいからです。
終わらせたくないんです。
続けることが大事だと思っているから、どんどん収拾できない方向に進んでしまう。
でもそれでいいんです。
だって具体的なことを言って結論を出してしまったら終わってしまうわけでしょ?
VALUは取引を通じて末長いお付き合いをする為のツール
VALUってのは末長く取引を継続させなきゃいけないのになんでみんな終わらそうとするの?そこがわからない。
そして大切なことは曖昧で抽象的ではあるけれどもTarCoon☆CarToonは確かにある。
と思わせることそうして説得力を与えれれば、おいらのVAはきっともっと売れるんだろうなぁと思う。
どうしても目先の利益に目を奪われてしまうものです
ただ、VALUをやってるみんなはおいらのようにはできない。
なぜならVAを売ってる買ってもらっているという発想に縛られてしまっているから。
取引をしている以上、まず利益を出さなきゃいけないって考えるよね。
おいらは優待にシールを配ってたけれども、最小のコストで最大の利潤を引き出す方法を考えるはず。
でもこの考え方は短期的な取引でいうと正しく見えるでしょう。
でもちょっと考えれば分かると思うけど、この考え方では中長期的には右肩下がりになるに決まっている。
なぜなら持続して顧客の心を引きつけるビジョンがないからですよ。
ビジョンを持つというのは遠くを見つめること
ビジョンがないということは世間や社会にに合わせるってことだよね。
そんな不安定で何がきっかけで大きく変わるかわかんないようなものに依存していたら持続可能な長期的なゆるぎない軸のある信用なんて得られるわけがないでしょう。
自分が生み出していったもので世界を変えてやるんだ!って気概がなければ、大多数の日本企業みたいになってしまうよ。
初期のVALUは本当にそう言ったビジョンで溢れていた。
だから面白かった。
運営もそうですよ。
俺が作るのはこれだ!って言う思いに溢れてた。
それがとても良かったと思うんだけどなぁ。
世界が広がる。夢が広がる気持ちを作ること
おいらが敬愛する押井守先生はこうおっしゃっています。
資本主義は、物をつくってお金に換えるプロセス自体が「面白かった」から成立したのだと思います。丹精込めて育てたナスが、手編みのザルと交換できただけじゃ駄目。野菜をお金に交換できたことでより高い満足感や達成感が得られて、人生がより拡張されるんです。これが資本主義が天下をとった最大の理由。僕はそう思っている。
自分の価値が交換可能になるということ
VALUの魅力はここだと思うんです。
自分のやっている事、価値や信用が取引されてお金になっていく、しかもそれが他人の評価で価格という形で交換可能な価値を出していく。
これは本当にすごい事だった。
人間をマネーの奴隷にしてしまって、資本主義の魅力を体感できるすごい仕組みだった。
交換可能なものを増やせば選択肢は増える
しかも交換可能なマネーって具体的じゃないでしょう?すごく抽象的。
だって交換可能な価値を示す物差しでしかないのだもの。
それは具体的な何かではない。ただの数値。
でも数値でしかないからこそ、そこからその価値があれば他に何ができるのか?って考えるんだと思う。
そして人間の可能性をどんどん広げていく。
可能性を広げるっていうのは選択肢が増えて世界が広がるって事ですよ。
でも最近のVALUを見ていると、みんな選択肢を減らす方向に進んでいるように見えるよね。
やってみるって気持ちは希望なんだよ
どうなるかわからんけど、おもろいからやってみる!VA買ってみる!そういうのがあって夢や希望や可能性に溢れていたでしょう?
こうすれば良い!は希望ではなく安心
それは抽象的だったからだよ!VALUがしょうもないパンピー凡人が考えるサービスや機能をどんどん盛り込んで可能性を紡いでいった。
だからクソしょうもない廉価版SNSみたくなったんじゃないかな?
面白いと自分が思ったことをやれば良い
じゃあ、そんなクソつまらなくなっていく中どうするの?っていうと人の意見なんか聞かずにやりたいことを勝手にやっていくしかないんですよ。
そんなかで他の人はやらないような使い方をするしかない。
それが面白いと思われることであり、売れるVAなんじゃないのかな?
*こんなひどいことを言う人のVAなんて買ってはいけません!