11.23 新嘗祭の日に政治と性の話をする「名古屋を革命拠点にするBAR」

TarCoon☆CarToon(タークゥーン カートゥーン)が名古屋弁証法研究会、「性別」破壊党資本黨、資本党をお招きして、新嘗祭の日に政治と性の話をするイベント「名古屋を革命拠点にするBAR」は、2025年11月23日(日)エデン名古屋にて開催します。名古屋でイベントを開催するのは2回目ですが、より一層多くの方に足を踏み入れやすくなるよう、イベントBARという形で開催させていただくことにしました。

こちらのページをご覧の皆様、是非お気軽にお立ち寄りください。

日時  :  令和7年11月23日(日)18時00分~22時00分
場所  :  エデン名古屋
       名古屋市中区栄4丁目12−20 栄ストーンビル 8F 

今回のテーマは「政」と「性」

本企画は、「政」と「性」を同列に置く。これは挑発ではない。生き延びる条件そのものを、いまここに引き出す行為である。

私たちの身体、ふるまい、呼ばれ方、関係の結び方、どこまで触れてよいか、どこから先は踏み込めないか。そのすべては長いあいだ「個人の問題」「家庭のこと」「大人なら自分で処理すべき領域」として片づけられてきた。しかし現実には、それらは法制度、雇用慣行、地域共同体の同調圧力、家族観と道徳規範といった、明白に政治的な配分装置のもとで振り分けられている。誰が「普通」とされ、誰が「配慮される側」とされ、誰が「危険」や「迷惑」と名指しされるのか。それは偶然ではなく、権力による線引きの産物である。

この意味で、「性」はもともと政治の外に置かれたことなど一度もない。「性」は政治的である。

同時に、政治の側もまた「性」を用いて自らを正当化してきた。「正しい家族像」「健全な大人のふるまい」「望ましい男らしさ/女らしさ」「地域にふさわしい態度」といったイメージが提示され、それに沿う生き方は「まっとう」と承認される一方、そこから逸れる生き方は異常・逸脱・脅威として監視・管理の対象とされる。統治はしばしば、「あなたのため」「みんなの安心のため」という言葉を通じて、ふるまいそのものを矯正する介入として現れる。

この意味で、政治はすでに性そのものである。

問題は境界線である。身体は誰のものか。ケアは贈与なのか義務なのか。親密さは合意の上にあるのか、期待の押しつけなのか。どこまでが見守りで、どこからが監視・管理なのか。これらは抽象的な哲学問題ではない。明日もここで生き続けるための、実務的な問いである。

本企画は、この境界線を「中央の制度がこう定めたから」というかたちでも、「各個人が勝手にやればいい」という投げ捨て方でもなく、互いの観察と合意の中で引き直す試みである。ここでの基本方針は明確だ。

監視せよ、しかし統治するな。 戦争を止めよ、しかし戦争をするな。 保護せよ、しかし管理するな。 そしてなによりも、 生き残れ!

これは、一方向の保護主義(弱い者を守れと命じることで新たな上下関係を作り直すこと)でも、完全な孤立主義(誰にも口を出させず各自で沈むこと)でもない。互いを観察し合い、いま何が危険で、いま何が限界で、いまどの暴力が立ち上がろうとしているのかを把握する。そしてその把握を、すぐさま国家的管理や市場的排除の言語に渡すのではなく、まず当事者同士の場で扱おうとする態度である。それは「寛容」だけでは成立しない。自己抑制(自分の衝動や支配欲を一旦引き戻す責任)と、不文律(言語化しきれないが互いの存続のために守るべき約束)を前提にしなければならない。

すなわち本企画は、TarCoon☆CarToonが標語として掲げる「寛容 ∥ 自己抑制 ∥ 不文律」という倫理を、場当たりのスローガンではなく、実際に運用可能なプロトコルとして試運転する場である。ここで扱われる「政」と「性」は単なる討論テーマではない。現在進行形で、私たちを生かしたり、沈めたりしている力そのものである。ゆえにこの場所は娯楽ではなく、避難所であり、観測所であり、同時に次の統治形態の試作品でもある。

この集まりを、11月23日──新嘗祭の日に置くのは偶然ではない。

新嘗祭は、収穫への感謝の儀式として語られる。だが同時にそれは、「この土地の実りは誰が受け取り、誰が口にし、その行為を通じて誰が共同体の中心性を体現するのか」を宣言する儀礼でもある。つまり食べるという行為、つまり生きるという行為を、代理として誰が代表するかを可視化する政治装置である。

食べることは生存である。生存は正統性の根拠にされる。生存の代表権を握る者は、共同体の名を語る資格を得た者として扱われる。まさにそこに、「政」と「性」は重なっている。なぜなら、生存を代表する身体が“誰の身体であるべきか”という問いは、再生産・血統・家族像・「正しい親」像・「正しい国民」像と不可分だからである。生きる/食べるという最も基本的な行為は、常に性と家族と再生産の物語と結びつけられ、正当性の舞台装置として用いられてきた。それは、国家神話のレベルから、日常の「ちゃんとした親でいなさい」「いい大人でありなさい」という圧力にまで染み込んでいる。

だから私たちは、この日に「政と性」の話をする。ただ祝うのでも、ただ祀るのでもなく、「誰の生存が誰に代表されていることになっているのか」「誰のからだが、誰のために、どの物語のために使われているのか」を、地域の側から検証し直すためである。生き残りは誰のものか。その問いを、形式上の神話に独占させないためである。

この試みを中部で行うことも、偶然ではない。中部は繰り返し、既存の秩序を更新する震源地として機能してきた。織田信長が旧い権威を焼き払い、徳川家康がその灰の上で新たな均衡を組み直したことはよく知られている。明治維新や戊辰戦争の局面も、自由民権運動のうねりも、中央の語りに吸い上げられる前は、生活と自治のレベルで「国は誰のものか」「生存の決定権はどこにあるのか」を問う運動として、この圏域で形を取り始めている。転換点がなぜかこの土地から起動する現象は、もはや地政学的な偶然以上のものとして観測されている。

実際、前回の会合は名古屋で行われた。場となったのはウクライナ料理店という、国境と暴力と主権をめぐる現実が日常の温度に落とし込まれた空間だった。そこでは、国という単位の「保護」と、個人という単位の「生き延びたい」という願いが、同じテーブルで同じ温度で扱われた。名古屋弁証法研究会がそこにいたことも象徴的だった。弁証法とは、既存の秩序が「これが正しい」と名乗ることと、その秩序では生きられない人々の拒絶とを、単なる分裂や内ゲバで終わらせず、新しい生存条件として練り上げる営みである。あの場では、明文化されない思想が、沈黙や頷きや笑みとして共有された。形式上は「ただの雑談」だったが、それは実際には次の秩序の素案を回す秘密会合のような機能を果たしていた。

重要なのは、これが一夜限りの遊戯ではないという点である。私たちが扱おうとしているのは「政」と「性」の理論的関連ではなく、日常のふるまい・ケア・呼称・労働・親密さ・身体のリスクといった、ごく即物的な領域における支配と交渉の回路である。そこでは、誰が誰に触れてよいのか、誰が誰を守るのか、どこまで責任を引き受けるのか、どの線から先は退くべきかという、きわめて繊細な合意が毎秒更新されている。その繊細な合意こそが、本当の政治であり、本当の性である。

だからこそ、「政と性」という題は、ふたつの領域をわざと混同するためにつけられているのではない。もともと切り離せなかったそれらを、ここにいる私たち自身のことばと責任のもとに回収し直すために掲げられている。この場で交わされる発言、沈黙、視線、配慮、そして拒否は、そのまま次の秩序のドラフトになる。

本企画は、中央から与えられた正しさに従うための集まりではない。逆に、ここでの実感から制度や倫理の側を上書きしていくための集まりである。この場は、互いを支配しないまま互いを生かすことは可能か、という問いへの一次実験である。そしてこの一次実験を、新嘗祭の日に、この地域から始めることは、決して偶然ではない。

10月28日 TarCoon☆CarToon

出された酒は呑め

名古屋を革命拠点にするBARとは?

名古屋を革命拠点にするBARは、ただお酒を飲む場所ではない。
ここは、これからの「生き延び方」を決めるための臨時司令室だ。

集まるのは、名古屋弁証法研究会、「性別」破壊党、資本黨、そして“見守るが統治しない”ことを掲げるTarCoon☆CarToon。ふだんは別々の現場で動いている人間たちが、同じテーブルに座り、次の一手をその場で組み立てる。

ここでは、きれいごとの政治トークはしない。逆に、ネットで強い言葉だけ投げて満足するタイプの安全な“反逆ごっこ”もしない。やるのはもっと生活に近い相談だ──誰が誰を守るのか? どこから先は踏み込んではいけないのか? どこまでがケアで、どこからが支配なのか? 日々の労働、お金の回し方、親密さ、身体のリスク、安全圏。このぜんぶを「どうやったら生き延びられる設計にできるか」という観点で扱うことを願う。

そして会場が名古屋であることは、偶然ではない。

名古屋は、東京の「中央権力の物語」にも、大阪・京都・奈良といった畿内の「伝統正統の物語」にも回収されない場所だ。それにもかかわらず、日本の転換点は何度もこの中部圏を震源に動き出してきた。古い秩序を焼き払い、新しい形をねじ込む役目を、この地域は繰り返し引き受けてきた。どこかの都にとって都合のいい『改革』ではなく、地べたから沸騰した本物の変化が始まる地点として機能してきた土地だ。

だから「名古屋を革命拠点にする」とは、ローカルのムラ意識を持ち上げる合言葉ではない。「またここから時代をひっくり返す」という歴史上の役割を、今回も自覚的に引き受ける、という宣言そのものだ。

このBARは、ただの飲み会ではない。
この夜は、次の転換の予告編として開かれる。
興味本位で来ていい。飲むだけでいい。けれど、一度その場に座れば、自分もその「予告編」の一部になる。最初の一杯から、もう始まっています。

TarCoon☆CarToonについて


ソーシャルアイドル / 偶像家 /プロパガンディスト  或いは、アート。  

感覚的な伝達と観念的な表現を通して、概念(考え方)を示す活動をしています。 

実像と虚像の狭間を漂い続ける偶像化した概念を創作しています。作品名が「作者の徒名(たぁくん)」と「社会風刺漫画(カートゥーン)」をアナグラムとしたのも、肥大化する承認欲求の行きつく先に何があるのかを伝えています。 キャッチコピーの『だってキミ オイラのこと スキでしょ?』という言葉が示す通り、これは作品が作品のことを好きな人を信じるための物語である。

We create idolized concepts that continue to drift between the real and the imaginary. The fact that the name of the work is an anagram of “author’s name” and “social satire” also conveys what is at the destination of the bloated desire for approval. “DO YOU LOVE ME?” This is a story about the author believing in the people who love him.

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弁証法についての理解を深め、その実践的展開を企てている。毎月、読書会とネットラジオを開催し、時折、討論会やデモンストレーションなどを行う。過去の主な主催イベントに、「トランスジェンダー・言論の自由・差別――「『情況』に関する声明」についての討論」がある。

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BARまでの行き方
住所〒460-0008 愛知県名古屋市中区栄4丁目12−20 栄ストーンビル 8F
交通手段地下鉄 栄駅下車 13番出口から 徒歩5分

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