Hi! ハローハロー!!
映画を観ないくせいに映像作るのが大好きだった”たーくんです!
さてさて、だいーぶ前に、高畑勲監督のジブリ最新作『かぐや姫の物語』を観たのですが、そろそろネタバレしても良さそうなのでブログに書く事にしましたよ。
ストーリーはみんな知ってる竹取物語。
童話にもなって絵本もたくさんあるし、学校の古文の授業で習うし。日本人ならみんな知っているあの物語です。
高畑勲監督が「『かぐや姫』という作品はいつか日本人がきちんと作るべき作品だ」と語っていた通りに、きちんと作られた作品です。
誰もが知っている物語をどのように作るかという事が気になったかとおもいます。
キャッチコピーの『姫の犯した罪と罰』が更に興味を惹かせますしね。
でも、高畑勲監督が語っていた通りに、きちんと作られた作品です。
きちんと作られた作品です!
非常に素晴らしい作品でした。
何が良いのか?というのは、やっぱり、きちんと作られた作品!ってことですね。独自解釈を織り交ぜる事無く。誰もが知っている物語に作られている事でしょう。これにつきる!
だから、終盤でかぐや姫を迎えに、アダムスキー型宇宙船が飛来して、レーザー兵器で街を薙ぎ払い、中から、身体にフィットしたセクシータイトなスペースルックに身を包んだ天女なんかが現れて、かぐや姫を連れ去ったりはしない。
お迎えBGM
かぐや姫の物語 – 天人の音楽
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『月の民と、地球人類の戦い』が観たけりゃ∀ガンダムを観ましょう!
映画や小説などの物語の面白さっていうのは、見る人のその時の心理状況によって大きく見方が変わるっていう事だと、おいらは思うわけです。
んで、その幅が広ければ広い程、面白い物語なんじゃないのかな?と思うわけです。
最近だと、おいらは『風立ちぬ』で感動したわけですけどね。
逆に作者の意図した通りに、受け手が楽しむのもまた、面白い作品なんだと思います。
ハイここは泣くシーン。ハイここは胸躍るシーン。みたいな作りも良いわけです。ハリウッド映画がそうですね。
さてさて、『かぐや姫の物語』はどういった面白さかと言いますと。
どちらかというと、前者の(見る人のその時の心理状況によって大きく見方が変わる)作品だと思います。
みんなが知っている物語で、普遍的な寓話なんだけど、そこは高畑勲監督ですね。『蛍の墓』や『おもひでぽろぽろ』のように観る人のこれまでの経験や人生観によって観る角度が違ってきます。
さて、皆の知っている竹取物語ですが。
問題は、その話を永遠と137分やるわけです。
キャッチコピーにあった、『姫の犯した罪と罰』とは、いったいなんなのか?
結論を言うと…、
「釣られたんだよ俺たちは…」
と言われても仕方が無いくらいに、物語上に罪と罰に関するエピソードはありません。
なので、未知の世界を体験する為に映画を観ると、面白くなかったといった感想になりがちかもしれません。
ただ、基本的には竹取物語に忠実だし古典好きなら見て損はしないと思います。
しかも日本史や日本文化が好きな人、もしくは、仏教思想に興味がある方は、作品の随所にちりばめられた寓話的なエピソードから色々深読みできて相当楽しいはず。
良くも悪くも、物語は原作に忠実なので、物語を楽しむよりかは、丁寧に描かれた登場人物の思いに自分を重ねてみるといいとおもます。
子どもたちに見せたい作品
誰もが知っている物語だから、わざわざ映画観に足を運ぶ必要はない!というわけでもなく、おいらは非常に素晴らしい作品だったと思うんですよね。
高畑勲監督が「『かぐや姫』という作品はいつか日本人がきちんと作るべき作品だ」と言っていたように。本当にきちんと作られていて、将来にわたって語り継ぐという意味では素晴らしい出来だと思うんです。
おいらは既に物語を知っているけれども、子どもたちは、このお話をまだ知らないわけですし、美しい絵と音楽と共に、おいらは見せてあげたいなと思ったわけです。
かぐや姫の魅力!生き生きと描かれた少女の姿
そして何よりも、この映画の楽しみ方は、純粋にかぐや姫かわいいお(^ω^)でよいと思うんですよ。
予告映像なんかにあった、服を脱ぎ散らかしながら疾走する怖い顔は、あのワンシーンだけで、他は本当にかわいいんです。
おいらが小学生中学生ぐらいなら確実に萌え死ぬぐらいのかわいさです。
はしゃぎおどり、野を駆け回る姿はハイジそのものだし、思いを馳せる姿は赤毛のアンみたいだし(どちらも小学生当時は萌えませんでしたが)むしろ見所はそこしかないんじゃないかというぐらいかわいいかった。
表情がぱぁっと明るくなったりね。そういうのがいちいちかわいいんです。
恋するかぐや姫!原作とは違う姫の思い
だからこそ、かぐや姫にはどんな苦境にあっても前向きで明るくいて欲しかったんですけどね。そうはならなかったんですよね。
『かぐや姫の物語』は原作の『竹取物語』に忠実といいましたが、一つだけ大きな違いがありまして、それはかぐや姫は幼少期に捨丸にいちゃんという人物と出会っていて、捨丸にいちゃんとのロマンスが盛り込まれている事なんですよ。
物語は『竹取物語』ですので姫が月へと帰る物語です。月へと帰らなければならないので、もちろんロマンスなんかは描かれません。
原作では少し帝とのロマンスともおぼしき描写(手紙のやり取りだけは3年続けてみる)というのがありますが、そんなものは無いと言い切っても良いでしょう。
でも『かぐや姫の物語』では、捨丸との恋のロマンスがあります。
ですが、これは『竹取物語』なので姫はひとり、月へと帰らなければいけないので、捨丸とも分かれる事になるんですね。
その別れの時にかぐや姫は捨丸に『捨丸にいちゃんとなら、私幸せになれたかもしれない』というわけですよ。
ここがね、この話は絶望しかないよなと思うわけです。
思い通りにならない人々の物語
捨丸にいちゃんと結ばれなかったかぐや姫はもちろん、かぐや姫に求婚した5人の皇子、そして、かぐや姫の幸せを願って、願ったが為にかぐや姫を幸せにできず、そして最後の願いである、ここに居て欲しいという願いも叶わず、皆、思い通りにならずに苦しんでいます。
これが『かぐや姫の物語』の本筋だと思うんですね。そしてこの本筋こそが、おいらは姫の犯した罪と罰では無いかと考えてみました。
仏教思想から考える『かぐや姫の物語』
終盤の月からのお迎えですが、お迎えにくる人の金髪のリーダーのような人物ですが、おいらには三輪さんに見えて仕方なく、「黙れ小僧」と言い出すんではないかと、ハラハラしてましたが、この人物、どう見ても姿形が如来です。
宇宙戦艦は一隻もでない事からSFではなくて、仏教思想的に物語を観るべきなのかな?とも考えられるんですね。
そこで、仏教的な考え方だとどのようになるか考えてみた訳です。
仏教思想に『一切皆苦』という言葉があります。
簡単な言葉で説明すると(人生なんて思い通りになんねーんだよ)って事なんですが、ここに姫の『罪と罰』のヒントが盛り込まれているかもしれません。
というのは、姫は与えられた状況に満足せず、昔(捨丸と過ごした時)のように戻りたいと欲するわけです。
自分の思い通りにならないという事が、この世に生きるという事なのだけれども、欲する事が罪だとするならば、この世に生きる事そのものが罰となるんですよね。
仏教思想的には罪とか罰とかの概念はないのですが、生きる事は苦しい事ですよね?(←という前提が仏教思想にはある)この苦しい事を取り除きたければ、その苦しい事の原因を知らなければ行けません。
んで、仏教の教義にはその苦しい事(思い通りにはならない)の原因は何なのか?という事を探る事からはじまるのですが、苦しい事の原因を捉えることができれば、苦しみから解放されるでしょ。という考え方があるんです。
姫の犯した罪と罰とは?
さて、かぐや姫はなぜこうも苦しまなければ行けないのでしょうか?
それは欲してしまったからだとおもうんですよね。人生なんて思い通りになんねーんだから、思い通りになる、思い通りにしたいなんて思うな!っていうことなんだけど、かぐや姫は思い通りにしたがった。
姫の犯した罪と罰がなんなのか?というキャッチコピーを考えると、物語の中では終始、あらゆる人物が思い通りにならない事で苦しんでいる訳ですから、これを罰と捉える事もできるでしょう。
んで、これを罰にするなら、それに当てはまる罪は何かというと、思い通りにしたいと欲している事だと思うんですね。
竹取翁は姫を幸せにしたいと欲し、5人の皇子は姫を娶りたいと欲し、姫は捨丸と一緒に居たかった。
そして、みんな、苦しみにまみれる訳です。(捨丸だけ苦しんでないように思えるけどね)
おいらの考える罪と罰
んで、結論になる訳ですが、みなさん色々深く考えていられますが、おいらの考えはもっと単純でわかりやすいです。
罪 = 思い通りにしたい!思い通りにしてみせる!
罰 = 思い通りになんてなんねーよ!バァァァカ!
如何でしょうか?案外間違っていないようにおもうんですけどね。
観劇の後の率直な感想。おいらのツイートまとめ
『かぐや姫の物語』観了。誰もが知ってる物語を素敵なロマンスに仕上ってた。かぐやだけの独りよがりなロマンスやったけど。そういうのイイよね。
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
額面通りに受け取るならば、誰かの所為というわけではないけれど、気がつけば手遅れで、好きだったあの子には子供がいて、ただどうする事もできず受け入れる事しかできない。というのは観た人は誰にでも当てはまる事だし訴えかけるものはあるだろな…と。#かぐや姫の物語
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
ホント高畑さんってどうしようもない事をどうしようもないように描くよね。だからこそ素晴らしい映画になるんだと思うけど。#かぐや姫の物語
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
幸せになれたかもしれない。とか後悔の言葉は聞きたくなかったなぁ…。 #かぐや姫の物語
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
いや、かぐや姫はかわいかったよ!ブヒブヒしたよ!おいらは萌え豚になっちまったよ! #かぐや姫の物語
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
「私の所為でみんな不幸に…」の台詞を聞くとナディアを思い出すんだよなぁ。その後のサンソンの「悲劇のヒロイン気取りかよ」って台詞も一緒に。ただ、かぐやには、ジャンような素敵な王子様はいない。でも誰も居ないわけじゃなくて、爺と婆はずっと側に居てくれてるんだよね。#かぐや姫の物語
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 10
15~12歳の女の子が好きなロリータ・コンプレックスの方も 12~7歳の女の子が好きなアリス・コンプレックスの方も 7~5歳の女の子が好きなハイジ・コンプレックスの方も 幼稚園児以下の女の子が好きなペドフィリアの方も 楽しめるのか『かぐや姫の物語』です。かぐや姫がかわいい
— TAKAMASA TASHIMA (@TKMS_all4A) 2013, 12月 19
今後も末永く観られる良作でしょう
てな訳で、色々考えてはみましたが、『かぐや姫の物語』そんなに深く考える必要は無いと思います。
誰もが知っている物語。普遍的な寓話。今後も長く語り継いでいきたい物語。
だからこそ、一本の長編作品として形にして、子どもたちに観てもらう。 それで良いと思いますけどね。
おいらはかぐや姫がかわいかったのでそれで良しとします。
バイチュ〜♪ (。^3^)ノシ⌒★
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