ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルテュス(本名バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ、1908-2001)。「この上なく完璧な美の象徴」である少女のいる室内画など、どこか神秘的で緊張感に満ちた独特の世界観は、多くの人々に愛され続けています。
今回は、バルテュス展が開催されている、京都市美術館に行って参りました。
バルテュス展
http://balthus2014.jp
■会 場:京都市美術館
■期 間:2014年 7月5日(土)~9月7日(日)
■時 間:9:00~17:00 (入場は閉館30分前まで)
■観覧料:一般 1500円 高校・大学生 1000円 小・中学生 500円
こんなイケメンだけどさぁ…、ロリコンなんだぜ!
なんて言うと怒られますが、やっぱり他のどの作品よりも、パンフレットやポスターに描かれている、少女の絵はとても魅力的なんですよ。
とくに『 夢見るテレーズ 』はえもいわれぬなんだか不思議な気がします。
ロリ的な意味ではないはずなんだけども、やっぱりそうなのだからなのか?とかいろいろ葛藤はします。
だからこそ問題になるんでしょうね。パンツ見えてるから児童ポルノだ!とか。
でも、エロだって思ってみなければエロではない訳で、エロポルノを否定したがる人は人の無自覚な部分にまでズケズケと入り込んでくる奴らなので、そんな人の意見は無視するとしても、何だろうね。この引き込まれる感じは…。
やっぱり絵だからなのかね?
ロリコンに関しては、日本のアニメ界の巨匠達に勝る物はないと、おいらはおもってるんだけど、バルテュスもそれぐらい潔ければ、おいらの中の、おいらだけの評価はうんと上がったと思うんだよね。
というのも、かわいい少女を描くというのは、単に描けるだけでは、その少女の魅力というのはなかなか表現できないと思うんですよ。
ただの記号の集まりではなく、そこに”実感を得る”という表現は並大抵の技術ではできない。
隅々まで思い通りにコントロールされた作品というのは、そこに臨在感を得られるだけの力を与えるという事なのだろうか?巨匠と呼ばれる人の作品には、それがある訳です。
それを単なる性的対象とみなして児童ポルノだ!と言ってしまうのはわからんでも無い訳です。
だって”そこに在る”ように見える訳だから仕方が無い。
そのように描けるのは、そのように描ける人だからで、並大抵の人にはできない事だとしても、エロだエロ!と言えてしまうのは、立場を変えてみると、それだけ心を揺り動かされていると言われても仕方が無いのかもしれないね。
作り手の立場から見ると、実感を得る様な作品をつくるというのも、心の中にある世界を他の人と分かち合う為の手段ではないかと思う訳で、如何にして自分の思いを相手に伝えるかという執念で作っていると思うんですね。
『赤毛のアン』を描いてきた高畑勲先生がかかれた「かぐや」も、『アルプスの少女ハイジ』を描いた、宮崎駿先生の「千尋」もそうだけど、
キャラクター作りにこだわりを貫き通して、出来が悪いと「こんなクェス・パラヤのお○○○、僕舐めないよ!」と全否定した富野由悠季先生の様な執念がなければ作れない、伝えられない魅力だと思うんです。
その魅力があるから鑑賞に堪えられる、それを通り越して見入ってしまう、そして取り込まれてしまう。心が奪われてしまう。
その執念とたぐいまれな技術が無ければ美しさは生み出せないわけだから、『私は幼女しか 描きたくなかった。』って宣言してもおいらは良いと思うんだよなぁ…。(世間は許しはしないだろうけど)
バルデュスが11歳の時に描いた絵本があって、それは猫のミツの物語なのね。
んで、お土産売り場においてあったのが、ミツの絵が描かれた蜂蜜
ミツだけに蜜って…。もっとなんとかならんかったんかよ(笑)短絡的すぎるやろ!てか、わざわざ蜂蜜まで入れて、ミツだけに蜜って言いたかっただけだろこれwwwww
おいらこういうの好きだけどね。
帰りに見た雲が面白かったので加工したらもっと面白く表現できるかなぁと思ったけどうまくはいかなかったようだ。
今回はじっくりゆっくりたっぷりと観る事ができなかったので、近々また観に行こうと思います。今度は音声ガイドも使って半日ぐらいかけたいな。
バイチュ〜♪ (。^3^)ノシ⌒★
つ づ く