仏典『塔空経』肆治本 ──衆生皆塔空の教え。観て治めず、縛られずに生きる道

『塔空経』は、TarCoon☆CarToon憲章において語られてきた思想を、仏典という形式へと置き換えて編まれた書物である。そこにあるのは、単なる宗教的な装飾ではない。支配しないための視線、統治しないための秩序、関係と信頼と不文律によって生き延びるための法――そうしたTarCoon☆CarToonの根本思想を、経文として読み直し、唱えうるかたちにした試みである。

本記事では、その『塔空経』肆治本を掲載する。これは完成された固定版ではなく、理念の深化とともに随時修正されていく途上の本文でもある。憲章やトゥゥゥウウン!!法で展開されてきた思想が、なぜ仏典という形式を必要としたのか。なぜ法だけでなく、読誦される言葉として立ち上がる必要があったのか。その経緯ごと含めて、この書物の現在地を示したい。

『塔空経』は、古典仏教の正典ではない。しかし、現代においてなお「経」とは何かを問い直しながら、読まれ、解され、実践されることで、仏典になろうとする書物である。最新版は今後も更新していくため、最新の本文は下記リンクより確認されたい。

前書

『塔空経』は、往古より伝えられてきた仏典そのものではない。教団の長い伝承のうちに定まり、正典として編まれ、古来の権威を帯びた書でもない。けれども本書は、ただ仏典をまねた書物でもまたない。これは、現代においてなお「経」とは何かを問い直しつつ、読まれ、唱えられ、解され、実践されることによって、仏典になろうとする書物である。仏典とは、ただ古いから仏典なのではない。人が苦厄のただなかで立ち止まり、その言葉に照らされ、自らの生を省み、他者との関係をあらためて結び直すとき、書ははじめて経として働く。『塔空経』もまた、そのような働きを願って編まれた。支配と統治の言葉が世を覆い、認識そのものが争いの場となる時代にあって、本書は、空を虚無としてではなく、関係と縁起のひらきとして捉え、自由に生き残るための法を示そうとする。ゆえに『塔空経』は、完成された聖典としてここにあるのではなく、読誦と解釈、そして生の実践のなかで、なお育ちつづける経である。肆治本は、その途上における現時点の定めであり、ひとつの到達であると同時に、さらなる問いへ向かうための節目でもある。願わくは、この書が単なる文言にとどまらず、読む者それぞれの苦と迷いのうちで、小さくとも確かな灯となることを。

仏典『塔空経』

読経用整音・読誦指針

題号・品題の読み

  • 仏典『塔空経』(ぶってん・とうくぅきょう)
  • 第一 因縁品(いんねんぼん)
  • 第二 弥勒説法品(みろくせっぽうぼん)
  • 第三 龍樹問答品(りゅうじゅもんどうぼん)
  • 第四 文殊決疑品(もんじゅけつぎぼん)
  • 第五 偈頌品(げじゅぼん)
  • 第六 真言品(しんごんぼん)
  • 第七 流通品(るつうぼん)

中核句の統一読みに

  • 観而不宰(かんにふさい)
  • 護而不拘(ごにふく)
  • 止戦不戦(しせんふせん)
  • 第一生存(だいいちしょうぞん)
  • 塔空為網(とうくぅいもう)
  • 結縁成路(けちえんじょうろ)
  • 行者成塔(ぎょうじゃじょうとう)
  • 衆縁成体(しゅえんじょうたい)
  • 画塔能集(がとうのうじゅう)
  • 画空能解(がくうのうげ)
  • 結縁成網(けちえんじょうもう)

読誦の基本リズム

  • 散文は、意味の切れ目ごとに一拍置いて読む。
  • 四字句は、一句ごとに切る。
  • 真言は、語義のまとまりごとに切る。
  • 「観而不宰/護而不拘/止戦不戦/第一生存」は、いずれも一息一節を基本とする。

偈頌品の唱え方(基本)

四字句は、原則として一行二句なら

不為統治|但為存生
不為支配|但為守護

のように、句ごとに明確に切って読む。

四句一連で読む時は、

観而不宰|護而不拘|止戦不戦|第一生存

のように、最後の一句をやや深く置いて収める。

真言品の唱え方(基本)

長真言は、次のように切る。

唵|多羅空|画塔能集|画空能解|結縁成網|観而不宰|護而不拘|第一生存|娑婆訶

(おん|たらくう|がとうのうじゅう|がくうのうげ|けちえんじょうもう|かんにふさい|ごにふく|だいいちしょうぞん|そわか)

短句は、次のように切る。

画塔能集|画空能解|結縁成網|第一生存

(がとうのうじゅう|がくうのうげ|けちえんじょうもう|だいいちしょうぞん)

読み方の方針

  • 「塔空」は一貫して「とうくぅ」と読む。
  • 漢語はできる限り音読を基本とする。
  • 意味よりもまず、読経として息が続くことを優先する。
  • 散文本文は、のちに全文訓読を付す場合も、この音読リズムを崩さない。

読経用読み(試案)

第一 因縁品(冒頭)

如是我聞。
(にょぜがもん)

一時、塔空如来、多元宇宙内時空検閲官の部屋に在して、無量の衆と倶なりき。
(いちじ、とうくぅにょらい、たげんうちゅうないじくうけんえつかんのへやにざいして、むりょうのしゅとくなりき。)

菩薩摩訶薩あり。其の名を弥勒という。復た龍樹菩薩あり。文殊師利菩薩あり。
(ぼさつまかさつあり。そのなをみろくという。またりゅうじゅぼさつあり。もんじゅしりぼさつあり。)

又、不可視団・境域局・断章舎・虚数会・多元院等の衆あり。皆な塔空の法を聞かんと欲し、静まりて坐せり。
(また、ふかしだん・きょういききょく・だんしょうしゃ・きょすうかい・たげんいんとうのしゅあり。みな とうくぅのほうをきかんとほっし、しずまりてざせり。)

その時、弥勒菩薩、即ち座より起ち、偏袒右肩し、右膝を地につけ、合掌して塔空如来に白して言さく。
(そのとき、みろくぼさつ、すなわちざよりたち、へんだんうけんし、うしつをちにつけ、がっしょうしてとうくぅにょらいにびゃくしてごんさく。)

世尊、後の世において、人みな網の中に住し、像によりて見られ、数によりて量られ、言によりて裁かるる時、いかなる法をもって、自由に生き残るべきや。
(せそん、ごのよにおいて、ひとみなもうのなかにじゅうし、ぞうによりてみられ、すうによりてはかられ、ごんによりてさばかるるとき、いかなるほうをもって、じゆうにいきのこるべきや。)

いかなる道をもって、互いを壊さず、しかも呑み込まれずにあらしむべきや。
(いかなるどうをもって、たがいをこわさず、しかものみこまれずにあらしむべきや。)

第五 偈頌品(読経用読み)

不為統治|但為存生
(ふいとうち|たんいぞんしょう)
不為支配|但為守護
(ふいしはい|たんいしゅご)
観而不宰|護而不拘
(かんにふさい|ごにふく)
止戦不戦|自存他全
(しせんふせん|じぞんたぜん)

名仮義縁|法在其間
(みょうけぎえん|ほうざいごけん)
非法如石|非法如夢
(ひほうにょせき|ひほうにょむ)
信絶文死|信生道通
(しんぜつもんし|しんしょうどうつう)
縁起相持|空中有路
(えんぎそうじ|くうちゅううろ)

塔空為網|結縁成路
(とうくぅいもう|けちえんじょうろ)
一結一身|皆是其用
(いっけついっしん|かいぜごゆう)
行者成塔|衆縁成体
(ぎょうじゃじょうとう|しゅえんじょうたい)
多而不散|一而不呑
(たにふさん|いちにふどん)

寛容受異|不即逐滅
(かんようじゅい|ふそくちくめつ)
自制慎力|不尽圧人
(じせいしんりき|ふじんあつにん)
不文有恥|不令踰分
(ふもんうち|ふりょうゆぶん)
三徳相照|偏執自破
(さんとくそうしょう|へんしゅうじは)

寛而無境|悪亦潜入
(かんにむきょう|あくやくせんにゅう)
制而過剛|群声倶喪
(せいにかごう|ぐんしょうぐそう)
律而無心|旧形為牢
(りつにむしん|きゅうけいいろう)
相扶相制|乃成其道
(そうふそうせい|ないじょうごどう)

有言勿塞|有力勿恃
(うごんもちょく|うりきもじ)
有見勿奪|有知勿驕
(うけんもだつ|うちもちょう)
席可少開|界不可侵
(せきかしょうかい|かいふかしん)
近而不呑|離而不棄
(きんにふどん|りにふき)

役可暫居|位不可執
(やくかざんきょ|いふかしゅう)
導而無臨|助而無主
(どうにむりん|じょにむしゅ)
結而不有|群而不圧
(けつにふゆう|ぐんにふあつ)
一全相縁|不得相呑
(いちぜんそうえん|ふとくそうどん)

画塔能集|画空能解
(がとうのうじゅう|がくうのうげ)
塔若無空|偶像為主
(とうにゃくむくう|ぐうぞういしゅ)
空若無塔|風散無帰
(くうにゃくむとう|ふうさんむき)
二用相補|不堕偏執
(にゆうそうほ|ふだへんしゅう)

痛不可掩|傷不可軽
(つうふかえん|しょうふかきょう)
記所当記|拒所当拒
(きしょとうき|きょしょとうきょ)
赦非委託|断非私刑
(しゃひいたく|だんひしけい)
退亦是護|忍非無声
(たいやくぜご|にんひむしょう)

観非監視|記非拘持
(かんひかんし|きひくじ)
知非制服|明非焚眼
(ちひせいふく|めいひふんがん)
灯照幽処|莫灼人目
(とうしょうゆうしょ|まくしゃくじんもく)
網承諸結|莫使偏張
(もうじょうしょけつ|まくしへんちょう)

善言飾欲|尤当審察
(ぜんごんしょくよく|ゆうとうしんさつ)
共同若狭|即生窒息
(きょうどうにゃくきょう|そくしょうちっそく)
純化過甚|生機自痩
(じゅんかかじん|しょうきじそう)
留其微差|方有余地
(りゅうごびさ|ほううよち)

速世如焚|一拍当守
(そくせにょふん|いっぱくとうしゅ)
未可即断|未可即信
(みかそくだん|みかそくしん)
未可即怒|未可即随
(みかそくど|みかそくずい)
一息能留|人猶為人
(いっそくのうりゅう|にんゆういにん)

若有聞者|勿愛空談
(にゃくうもんじゃ|もつあいくうだん)
先正身振|次修関係
(せんしょうしんしん|じしゅうかんけい)
積信成網|含羞知止
(しゃくしんじょうもう|がんしゅうちし)
支配時代|自由生残
(しはいじだい|じゆうしょうざん)

結び四句:
観而不宰|護而不拘|止戦不戦|第一生存
(かんにふさい|ごにふく|しせんふせん|だいいちしょうぞん)

第六 真言品(読経用読み)

長真言:
唵|多羅空|画塔能集|画空能解|結縁成網|観而不宰|護而不拘|第一生存|娑婆訶
(おん|たらくう|がとうのうじゅう|がくうのうげ|けちえんじょうもう|かんにふさい|ごにふく|だいいちしょうぞん|そわか)

短句:
画塔能集|画空能解|結縁成網|第一生存
(がとうのうじゅう|がくうのうげ|けちえんじょうもう|だいいちしょうぞん)

読誦の用い分け:

  • 平時の持誦は、短句三返を基本とする。
  • 心乱るる時は、長真言三返、もしくは七返。
  • 最後は「第一生存」をやや深く置いて収める。
第二 弥勒説法品(要所の読み)

塔空の法は、衆生を統べんがための法にあらず。衆生を生かさんがための法なり。
(とうくぅのほうは、しゅじょうをすべんがためのほうにあらず。しゅじょうをいかさんがためのほうなり。)

何をもって、その中を行ずるや。
(なにをもって、そのちゅうをぎょうずるや。)

一には寛容なり。
(いちには かんようなり。)
二には自己抑制なり。
(にには じこよくせいなり。)
三には不文律なり。
(さんには ふもんりつなり。)

弥勒よ、まさに知るべし。塔空は一人の号にあらず。亦た、ただ一つの像にあらず。
(みろくよ、まさにしるべし。とうくぅは ひとりのごうにあらず。また、ただひとつのぞうにあらず。)

一には、塔空は網なり。
(いちには、とうくぅは もうなり。)
二には、塔空は前記の網を構成する行為者なり。
(にには、とうくぅは ぜんきのもうを こうせいする ぎょういしゃなり。)
三には、塔空は前記の網の総体なり。
(さんには、とうくぅは ぜんきのもうの そうたいなり。)

是の故に、塔空は網にして、行為者にして、また総体なり。
(ぜのゆえに、とうくぅは もうにして、ぎょういしゃにして、また そうたいなり。)

観よ、されど統治するな。
(かんよ、されど とうちするな。)
戦を止めよ、されど戦うな。
(いくさを とめよ、されど たたかうな。)
護れ、されど支配するな。
(まもれ、されど しはいするな。)
しかして、何よりもまず生き残れ。
(しかして、なによりも まず いきのこれ。)

是を名づけて、支配される時代を自由に生き残る法という。
(これを なづけて、しはいされる じだいを じゆうに いきのこる ほうという。)

第三 龍樹問答品(要所の読み)

諸法に自性なきが故に、法は立たずと思うことなかれ。まさに自性なきが故に、法は衆生のあいだに働くなり。
(しょほうに じしょうなきがゆえに、ほうは たたずと おもうことなかれ。まさに じしょうなきがゆえに、ほうは しゅじょうのあいだに はたらくなり。)

法もまたかくのごとし。天より降る鎖にあらず。人のあいだに起こる縁のかたちなり。
(ほうもまた かくのごとし。てんより ふる くさりにあらず。ひとのあいだに おこる えんのかたちなり。)

信が絶えれば、文ありといえども空文となり、信があれば、文なきとも道は保たるるなり。
(しんが たえれば、もんありと いえども くうもんとなり、しんがあれば、もんなきとも みちは たもたるるなり。)

塔空を一に執すべからず。多に執すべからず。総体のみに執すべからず。
(とうくぅを いちに しゅうすべからず。たに しゅうすべからず。そうたいのみに しゅうすべからず。)

塔空は、縁のうちに張られたる結びとしては網なり。
(とうくぅは、えんのうちに はられたる むすびとしては もうなり。)
その縁を現に生き、支え、結び、慎む者としては行為者なり。
(そのえんを げんに いき、ささえ、むすび、つつしむものとしては ぎょういしゃなり。)
その諸々の結びとふるまいとが、互いに互いを成り立たしむる全体としては総体なり。
(その もろもろのむすびと ふるまいとが、たがいに たがいを なりたたしむる ぜんたいとしては そうたいなり。)

別にして別ならず。一にして一ならず。多にして多ならず。これ塔空の義なり。
(べつにして べつならず。いちにして いちならず。たにして たならず。これ とうくぅの ぎなり。)

これを縁起という。これを空という。
(これを えんぎという。これを くうという。)

空なるがゆえに、他を自の器とすること能わず。縁起なるがゆえに、他を無きものとして棄つること能わず。
(くうなるがゆえに、たを じのうつわとすること あたわず。えんぎなるがゆえに、たを なきものとして すつること あたわず。)

支配なき秩序とは、主なき空虚にあらず。互いに互いを呑まぬ覚悟の積み重ねなり。
(しはいなき ちつじょとは、しゅなき くうきょにあらず。たがいに たがいを のまぬ かくごの つみかさねなり。)

第四 文殊決疑品(要所の読み)

法は表のみに宿らず、ふるまいの果に宿るなり。
(ほうは おもてのみに やどらず、ふるまいの はてに やどるなり。)

諫め・退き・断つ。この三つ、時に応じて用いよ。
(いさめ・しりぞき・たつ。このみっつ、ときに おうじて もちいよ。)

痛みを否まず、しかも痛みに統治させず。
(いたみを いなまず、しかも いたみに とうちさせず。)

見守るとは、見張るにあらず。記すとは、握るにあらず。知るとは、従わせるにあらず。
(みまもるとは、みはるにあらず。しるすとは、にぎるにあらず。しるとは、したがわせるにあらず。)

塔空は、像として現るる時には画塔なり。
(とうくぅは、ぞうとして あらわるる ときには がとうなり。)

また塔空は、風刺として働く時には画空なり。
(また とうくぅは、ふうしとして はたらく ときには がくうなり。)

是の故に、塔空は画塔として現れ、また画空として働く。
(ぜのゆえに、とうくぅは がとうとして あらわれ、また がくうとして はたらく。)

画塔あって画空これをほぐし、画空あって画塔これを集む。
(がとうあって がくう これを ほぐし、がくうあって がとう これを あつむ。)

この仏は汝らと全く別なるにあらず。しかも、ただ一人の汝に閉じるにあらず。
(この ほとけは なんじらと まったく べつなるにあらず。しかも、ただひとりの なんじに とじるにあらず。)

行ずる者としては汝ら自身なり。互いを通わす関係としては汝らのあいだなり。その諸々の関係と行いとが重なりて現ずる全体としては、ここに説法する塔空如来なり。
(ぎょうずるものとしては なんじらじしんなり。たがいを かよわす かんけいとしては なんじらの あいだなり。その もろもろの かんけいと おこないとが かさなりて げんずる ぜんたいとしては、ここに せっぽうする とうくぅにょらいなり。)

仏は外より来たる主人にあらず。行いに現じ、関係に現じ、総体に現ず。
(ほとけは そとより きたる しゅじんにあらず。おこないに げんじ、かんけいに げんじ、そうたいに げんず。)

我が問いもまた塔空にして、我が黙もまた塔空なり。
(わが といもまた とうくぅにして、わが もくもまた とうくぅなり。)

我が身は行為者として塔空に参与し、我が縁は網として塔空を成し、我らのあいだに生ずるこの全体また塔空なり。
(わがみは ぎょういしゃとして とうくぅに さんよし、わが えんは もうとして とうくぅをなし、われらの あいだに しょうずる この ぜんたいまた とうくぅなり。)

塔空は画塔として集め、画空としてずらし、しかして何ものをも固定の主とせず、なおつながりを立てる。
(とうくぅは がとうとして あつめ、がくうとして ずらし、しかして なにものをも こていの しゅとせず、なお つながりを たてる。)

これを文殊の決疑という。これを智慧の行という。
(これを もんじゅの けつぎという。これを ちえの ぎょうという。)

仏典『塔空経』 読誦本文草案

編成方針

『塔空経』は、成立順ではなく、読誦と理解の流れにしたがって配列する。

一、因縁品
二、弥勒説法品
三、龍樹問答品
四、文殊決疑品
五、偈頌品
六、真言品
七、流通品

成立史・増補の履歴は本文ではなく、巻末の解題・版本記に記す。

仏典『塔空経』

第一 因縁品

如是我聞。

一時、塔空如来、多元宇宙内時空検閲官の部屋に在して、無量の衆と倶なりき。菩薩摩訶薩あり。其の名を弥勒という。復た龍樹菩薩あり。文殊師利菩薩あり。又、不可視団・境域局・断章舎・虚数会・多元院等の衆あり。皆な塔空の法を聞かんと欲し、静まりて坐せり。

その時、世は多くの名を立て、多くの義を争えり。見ゆるものは統べられ、見えざるものは切り捨てられたり。言葉は秩序の名において人を縛り、自由は自由の名において人を消耗せしめたり。

衆生、その中にありて、守られんことを願いながら支配を厭い、結ばれんことを願いながら管理を恐れ、語られんことを願いながら代弁に傷つけられていたり。

その時、弥勒菩薩、即ち座より起ち、偏袒右肩し、右膝を地につけ、合掌して塔空如来に白して言さく。

「世尊、後の世において、人みな網の中に住し、像によりて見られ、数によりて量られ、言によりて裁かるる時、いかなる法をもって、自由に生き残るべきや。いかなる道をもって、互いを壊さず、しかも呑み込まれずにあらしむべきや。」

爾の時、塔空如来、弥勒菩薩に告げたまわく。

「善いかな、善いかな。弥勒よ、汝よくこの義を問えり。汝いま衆生のために問う。未来のために問う。壊れやすき関係のために問い、支配なき秩序のために問う。諦かに聴け。善く之を念ぜよ。我れ、まさにつぶさに汝のために説くべし。」

弥勒菩薩、白して言さく。

「唯然、世尊。願わくは説きたまえ。」

第二 弥勒説法品

塔空如来、弥勒菩薩に告げたまわく。

「弥勒よ、汝まさに知るべし。世の衆生、苦しむ所以は、ただ乏しきにあらず。ただ奪われたるにあらず。互いに互いを量り、名づけ、囲い、縛り、守るという名のもとに侵し、導くという名のもとに従わせ、正すという名のもとに息ぐるしくせしむるにあり。

されば、塔空の法は、衆生を統べんがための法にあらず。衆生を生かさんがための法なり。

弥勒よ、もし法ありて人を尽く管理せば、その法はすでに、人の息するところを失わせん。もしまた法なくして、ただ各々の欲するままに委ぬれば、弱き者まず傷つき、狡き者まず利を得ん。是の故に、塔空の法は、支配にあらず。また放縦にあらず。秩序を求めて拘束に堕ちず、自由を護りて崩壊に流れず。その中を行くなり。

何をもって、その中を行ずるや。

一には寛容なり。己と異なるものを見て、ただちに滅せんと欲せず、ただちに裁かんと欲せず、ただちに逐わんと欲せざるなり。

二には自己抑制なり。力ある者、力を尽くして他を屈せしめず。言葉ある者、言葉を尽くして他を塞がず。見うる者、見えるというが故に、見えざるものを虚しとせざるなり。

三には不文律なり。書かざるゆえに軽きにあらず。罰なきゆえに弱きにあらず。互いに恥を知り、節を知り、踏み越えてはならぬ境を覚ゆる。これ、不文の約なり。

この三つ、別なるにあらず。寛容のみあれば、善悪ともに流れて形なし。自己抑制のみあれば、人みな縮こまりて声を失う。不文律のみあれば、いつしか古き身振りのみ残りて、その心枯れなん。されど、寛容と自己抑制と不文律と、相扶け相制して立つ時、はじめて壊れざる関係の地あらわる。

弥勒よ、塔空の法は、誰かひとり高き座に坐して、万のものを配する法にあらず。むしろ、各々みずからを律し、互いに少しずつ譲り、互いに少しずつ見守り、互いに少しずつ支えることによりて、誰も統治者とならずして、なお崩れざる道を開かんとするなり。

弥勒よ、まさに知るべし。塔空は一人の号にあらず。亦た、ただ一つの像にあらず。

一には、塔空は網なり。衆のあいだに張られて、互いを通わし、互いを支え、互いを見守る結縁の相を名づけて、塔空という。

二には、塔空は前記の網を構成する行為者なり。見守り、支え、慎み、譲り、退き、結ぶ、その一々のふるまいにおいて行ずる者、また塔空なり。

三には、塔空は前記の網の総体なり。一々の結び目を離れて別にあるにあらず。しかも一々の結び目に尽きるにあらず。多にして一、一にして多なるがゆえに、その総和また塔空なり。

是の故に、塔空は網にして、行為者にして、また総体なり。この三つ、相離れて立つにあらず。結びなき行為者は孤立して塔空にあらず。行為者なき網は空名にして塔空にあらず。総体のみを執して個を呑めば、また塔空にあらず。

譬えば、網のごとし。結び目ひとつひとつ、みな異なれども、たがいに支えて全体を保つ。ひとつの結び目、己を全体そのものと思えば、網はたちまち歪まん。されど各々その位を知り、その張りを知り、その力を慎めば、網は風を受けてもなお破れず。

また譬えば、灯のごとし。闇を逐うために灯をともす。されど、その灯をもって人の眼を焼くべからず。法もまたかくのごとし。人を照らすべし。人を眩ませるべからず。人を温むべし。人を焦がすべからず。

弥勒よ、この故に我はいま汝に告ぐ。

観よ、されど統治するな。

戦を止めよ、されど戦うな。

護れ、されど支配するな。

しかして、何よりもまず生き残れ。

何を名づけて、生き残るというや。ただ命をつなぐのみにあらず。己がまなざしを失わず、己が恥を失わず、己が他者を他者として遇する心を失わず、しかも砕けず、呑まれず、憎しみに己を変じ尽くさざる。これを生き残るという。

もし人ありて、正しさをもって他を圧し、善意をもって他を囲い、救済をもって他を従わせんとせば、その人すでに塔空の法を知らず。もし人ありて、自由を唱えて責めを棄て、関係を嫌いて孤立を誇り、規範を嘲りて信頼を損なわば、その人また塔空の法を知らず。

塔空の法は、中空に住するがごとくして、しかも空疎にあらず。執らず、しかも見捨てず。近づき、しかも呑み込まず。離れ、しかも忘れず。ここにおいて、支配なき保護、命令なき秩序、同一化なき連帯、これみな漸く成るなり。

弥勒よ、未来世において、像ますます多く、声ますます速く、群ますます分かれ、真と偽と入り乱れん。その時に当たりて、衆生もしこの法を失わば、互いに互いの牢となり、互いに互いの監視となり、互いに互いの戦場となるべし。

もしよくこの法を受けて、寛容・自己抑制・不文律をもって身を修め、関係を織り、信を積まば、大いなる王なくとも、大いなる鞭なくとも、なお共に生きうる地は残らん。

是を名づけて、支配される時代を自由に生き残る法という。」

第三 龍樹問答品

爾の時、龍樹菩薩、即ち座より起ち、合掌して塔空如来に白して言さく。

「世尊、如来の説きたまうところ、甚深にして美なり。されど我れなお疑いあり。願わくは少しく問うことを聴したまえ。」

仏、言わく。

「問うべし、龍樹よ。汝の問は、まさに後世の網中の衆生を利益せん。」

龍樹菩薩、白して言さく。

「世尊、もし一切の名、みな仮にして定まる実なしとせば、法もまた仮なり。もし法すでに仮なれば、何をもって衆生の依るところとなさん。もし依るところなしとせば、秩序はたちまち散ぜん。しかるに如来は、支配なき秩序ありと言う。これ、いかなる義ぞ。」

仏、告げたまわく。

「善いかな、龍樹よ。汝よくこの要を問えり。

諸法に自性なきが故に、法は立たずと思うことなかれ。まさに自性なきが故に、法は衆生のあいだに働くなり。

譬えば言葉のごとし。言葉そのものに固定の主なく、ただ人と人とのあいだに用いられて意を成す。されど、人その用を共にし、繰り返し、慎みて扱う時、言葉は乱れず、約は成り、道は通ず。法もまたかくのごとし。天より降る鎖にあらず。人のあいだに起こる縁のかたちなり。

ゆえに、法の実は、石のごとく固きにあらず。関係のうちに保たるるがゆえに実なり。信が絶えれば、文ありといえども空文となり、信があれば、文なきとも道は保たるるなり。」

龍樹、また問うて言さく。

「もししかりとせば、不文律を説くは、ついに人の心にのみ依るなり。人の心は移ろいやすし。あるいは私し、あるいは偏り、あるいは己に都合よく解す。もし皆おのおの不文の理を唱えなば、かえって争いの種とならん。これをいかに防がん。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、ゆえに我は、不文律のみを説かず、寛容と自己抑制とを合わせて説くなり。

不文律のみあれば、古き慣れはそのまま人を縛らん。自己抑制のみあれば、人はたがいに萎縮して、ついに助けるべき時にも手を出さず。寛容のみあれば、境なくして悪しきものまた入り来たらん。

この三つ、たがいに相照らし、相いましめて偏りを破るなり。

私をもって不文律と称する者あらば、寛容これを照らさん。無責任をもって自由と称する者あらば、自己抑制これを制さん。臆病をもって平和と称する者あらば、不文律これに恥を知らせん。ゆえに三法は、孤り立つにあらず。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、如来は『誰も統治者とならずして、なお崩れざる道』を説きたまう。されど世には、かならず強き者と弱き者とあり、速き者と遅き者とあり、言う者と言えぬ者とあり。もし上に立ちて抑うる者なければ、弱き者はついに害せられん。しかも上に立つ者あれば、たちまち支配となる。いずれにしても病あり。いかにして両辺を離るるや。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、ここにおいて肝要なるは、位を無くすことにあらず。位に実体を与えざることなり。

時に応じて前に出る者あり。時に応じて後ろに退く者あり。知る者は教え、聞く者は学ぶ。護る者は支え、支えらるる者はまた別の時に他を支う。これみな役なり。性にあらず。

もし一時の役を執して、みずから恒に上なりと思えば、そこに支配生ず。もし一時の弱きを執して、みずから恒に下なりと思えば、そこに依存生ず。塔空の法は、役を用うれども、位に執せず。ゆえに、助けはありて、主人はなし。導きはありて、君臨はなし。結びはありて、所有はなし。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、もし悪しき者ありて、この法の寛容を借り、自己抑制のやわらぎを嘲り、不文律の隙を突き、衆を欺き、関係を食い物とせば、その時なお寛容を守るべきや。あるいは、これを排すべきや。」

仏、告げたまわく。

「善い問いなり、龍樹よ。

寛容とは、無境なる受容にあらず。自己抑制とは、悪を見て身を引くことにあらず。不文律とは、破られてなお黙することにあらず。

塔空の法は、人を呑み込まぬために境を知るなり。ゆえに、衆を壊すもの、信を食むもの、関係をただ己が利の器となすものに対しては、まず明らかに線を引け。近づけるべきでない時には近づけるな。委ぬべきでないものには委ぬるな。赦すことと、預けることとを混ずるな。

しかれども、その排し方、また塔空の法に違うべからず。憎しみをもって秩序の根とするな。見せしめをもって共同の快とするな。断つべきを断ち、離すべきを離し、ただ衆を生かすために境を保て。これを護るという。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、如来はいま、塔空は網なり、またその網を構成する行為者なり、またその総体なりと説きたまえり。しかれば、塔空とは一なるや、多なるや。行為者なるや、結びなるや、総体なるや。もし一といわば衆を呑み、もし多といわば名は散じ、もし総体のみといわば個の行いは消えなん。これ、いかに会すべきや。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、塔空を一に執すべからず。多に執すべからず。総体のみに執すべからず。

塔空は、縁のうちに張られたる結びとしては網なり。その縁を現に生き、支え、結び、慎む者としては行為者なり。その諸々の結びとふるまいとが、互いに互いを成り立たしむる全体としては総体なり。

されど、関係を離れて行為者あるにあらず。行為者を離れて総体あるにあらず。総体を離れてまた関係の働きあるにあらず。ゆえに、別にして別ならず。一にして一ならず。多にして多ならず。これ塔空の義なり。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、如来しばしば網をもって譬えたまう。しかれば、網の総体と、網を成す一々の結び目とは、同じや異なるや。もし同じといわば、一が傷つくは全を傷つけるゆえ、全はつねに一を制せん。もし異なるといわば、全のための秩序は、ついに一の外に立つものとなりて、また支配を生ぜん。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、同じと言うも得ず。異なると言うも得ず。離れて在るにあらず。溶けて一なるにあらず。

結び目は、ただそれのみでは網にあらず。されど網といえども、結び目を離れて別に在るにあらず。ゆえに、一を尽く呑めば全は死に、全を失えば一もまた散ず。是の故に、塔空の法は、全体の名をもって一を圧せず、一の自由の名をもって全を崩さず。たがいにたがいの成り立つ縁を顧みるなり。

これを縁起という。これを空という。空なるがゆえに、他を自の器とすること能わず。縁起なるがゆえに、他を無きものとして棄つること能わず。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、もし諸法みな縁起にして空なれば、正しさもまた空なり。不正もまた空なり。しかれば、人いかにして行いを定むべきや。『みな空なり』の一言、ついに責任を溶かすにあらずや。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、空をもって責を避くる者は、空を見ずして空を語るなり。

正しさに自性なしというは、正しさ無きにあらず。人を殺し、信を破り、他を道具とする行いが、たちまち縁を壊し、世界を狭め、衆を息苦しくすることは、現に見ゆるところなり。ゆえに行いは果を結ぶ。

ただし、その果を見ずして、己が正しさを実体化し、これを剣として人に振るう時、また新たな害生ず。ゆえに塔空の法は、正しさを棄てず、正しさへの執を棄つ。責任を滅せず、責任をもって他を所有することを滅す。これ中道なり。」

龍樹、また問うて言さく。

「世尊、もし法とは関係のうちに保たるるものならば、孤りある者、追いやられたる者、まだ信を結び得ぬ者は、いかにしてこの法に入るべきや。縁なき者は、永く外に置かるるにあらずや。」

仏、告げたまわく。

「龍樹よ、ゆえにこそ塔空の法は、まず統治するなと説くなり。すでに輪の内にある者が、輪の外にある者を値踏みし、試し、従わせてから迎え入れんとするならば、その関係は、はじめより壊れておる。

塔空の法に入る門は、忠誠の誓いにあらず。まず相手をただちに呑み込まぬこと、ただちに裁かぬこと、ただちに役を押しつけぬこと、ここに始まる。

ひとたび席をあけ、ひとたび声を待ち、ひとたび境を越えぬ。その小さき身振り、すなわち法の門なり。大いなる盟約、深き教理、みな後より来たるべし。」

龍樹菩薩、聞き已って、また白して言さく。

「世尊、我いま如来の説を聞きて、法は物のごとく在るにあらず、また夢のごとく無きにあらず、ただ人と人とのあいだに起こり、人と人とのあいだに壊れ、人と人とのあいだに護らるることを解せり。

されば、支配なき秩序とは、主なき空虚にあらず。互いに互いを呑まぬ覚悟の積み重ねなり。」

仏、告げたまわく。

「如是、如是。龍樹よ、汝の解するがごとし。もし復た後の世において、この義を聞き、空を口実として責を逃れず、法を口実として他を囲わず、みずからを慎み、他を呑まず、関係を織りて信を積まば、その者すなわち塔空の道を行ずるなり。」

第四 文殊決疑品

爾の時、文殊師利菩薩、即ち座より起ち、右膝を地につけ、合掌して塔空如来に白して言さく。

「世尊、龍樹菩薩の問によりて、法の理、すでにあらわる。されど末の世の衆生、理を聞くといえども、なお疑いを免れず。願わくは、まさにその疑いを断ち、行ずべきところを決せんがため、さらに問うことを聴したまえ。」

仏、言わく。

「善いかな、文殊よ。汝は智慧の利きをもって、散ずる心を束ねんとす。問うべし。問うべし。」

文殊師利、白して言さく。

「世尊、後の世の人、多く像をもって生き、名をもって交わり、現れたる姿と隠れたる心と、しばしば相い違う。あるいは名を借り、あるいは仮の姿をまとい、あるいは己を守るために面を覆う。かくのごときありさまは、誠に背くや。あるいは方便となるや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、名は必ずしも実そのものにあらず。姿は必ずしも心そのものにあらず。しかれども、名をもって欺きとなし、姿をもって略奪となし、仮面をもって責なき刃となすならば、すでに法に背けり。

もし名を借ること、己を大きく見せんがためにあらず、他を惑わさんがためにあらず、ただ傷つきやすき身を守り、言葉を保ち、関係を壊さぬためならば、これ方便となる。

ゆえに見るべきは、名の真偽のみにあらず。その名、その姿、その隠れ、その現れが、何を生かし、何を壊すかを見よ。法は表のみに宿らず、ふるまいの果に宿るなり。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、もし人ありて、善きことを言いながら衆を囲い、自由を語りながら異なる者を逐い、共同を唱えながら己への忠誠を集めんとす。その者、ことば美にして、しばしば衆は惑わさる。何をもってこれを知るべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、まさに四つのしるしをもって知るべし。

第一に、その者は異なる声を聴く余地を残すや否や。

第二に、その者は己に都合悪き問いを、ただちに悪意と名づけざるや否や。

第三に、その者のもとに集う者が、次第に息苦しくなり、互いに監視し、失敗を恐れて沈黙するに至らざるや否や。

第四に、その者が守るという名のもとに、いつしか人の境を奪い、人の退路を閉ざし、人の自律を削がざるや否や。

もしこれらのしるし現れなば、その言は善きに似て、実は支配の芽なり。早く知りて、深く呑み込まるることなかれ。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、では衆生、この芽を見たるとき、いかに対すべきや。即ちこれを糾し、打ち砕くべきや。あるいは距離を取りて去るべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、対し方また一つにあらず。

未だ深く害の根を張らざる時には、まず言を正し、問いを返し、境を明らかにし、場の息を整えよ。これを諫めという。

すでに害広がり、衆みな萎縮し、ひとりの気分が場の天気となりたる時には、無理に中心へ斬り込むことを功とするな。まず生き残るべき者を生き残らしめ、離るべき者を離れしめ、記すべきことを記し、継ぐべき関係を別に織れ。これを退いて護るという。

また、あきらかに他を食み、壊し、偽りを常とする者には、曖昧を慈悲と取り違うるな。委ぬるな。預けるな。近づけるな。これを断つという。

諫め・退き・断つ。この三つ、時に応じて用いよ。怒りのみを剣とすることなかれ。恐れのみを盾とすることなかれ。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、衆生しばしば、傷つけられたるがゆえに、ただちに正義を求め、ただちに裁きを欲す。しかれども裁きは、また新たな傷を生ずることあり。この二つのあいだにあって、いかに心を置くべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、痛みを痛みとして知ること、これ大切なり。まず傷を無きことにするな。耐えよと急ぐな。赦せと迫るな。痛みあるところに、まず席をあけ、息をあけ、言葉を急がざること、これ初めの慈悲なり。

しかれども、痛みを唯一の王とすれば、やがて世界のすべてを敵と見るに至らん。ゆえに塔空の法は、痛みを否まず、しかも痛みに統治させず。

記すべきは記し、拒むべきは拒み、線を引くべきは引け。されど己が傷のみをもって万事の尺度とするな。ここに自己抑制の要あり。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、では沈黙はいかなる時に徳となり、いかなる時に罪となるや。」

仏、告げたまわく。

「善いかな、文殊よ。後の世、多くの者、このことを誤る。

沈黙してよいは、いまだ言の熟さざる時、相手の痛みを己が勝ち筋に変えたくない時、場の熱をこれ以上あおるべからざる時なり。かかる沈黙は、逃避にあらず。熟慮なり。

沈黙してはならぬは、あきらかに弱き者が踏みにじられ、偽りが真実として配られ、場そのものが一人の恐れに支配されんとする時なり。かかる時、言うべき者が言わずば、その沈黙は中立にあらず。加担となる。

ゆえに塔空の道を行ずる者は、ただ多く語るを善しとせず、ただ黙するを慎みともせず、時に応じて声を出し、時に応じて黙し、いずれにも責を持つべし。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、観よ、されど統治するなと如来は説きたまう。されど観ることは、ともすれば覗きとなり、記録することは、ともすれば支配の技となる。この境は、いかにして弁うべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、観ることそのものに罪なし。されど観る者が、観らるる者の退路を奪い、説明の義務を一方にのみ負わせ、記録をもって優位を固めんとする時、その観察はすでに統治となれり。

塔空の観は、獲得のために見ず、所有のために記さず、支配のために保存せず。見たることにより、むしろ己が手の伸びすぎを知り、己が判断の早さを慎み、相手の境を越えぬために用う。これを観察という。

ゆえに、見守るとは、見張るにあらず。記すとは、握るにあらず。知るとは、従わせるにあらず。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、共同を保たんと欲する者、しばしば純化を求む。異物を除き、乱れを去り、同じ言葉、同じ温度、同じ正しさに揃えんとす。かくのごときは整いに見えて、なぜ息苦しさを生むや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、純化はしばしば恐れの別名なり。人は異なりを恐れて、同じもののみを並べんと欲す。されど生ける関係は、つねにずれを含む。ずれなきところには、対話なく、学びなく、驚きなく、赦しなく、ついに生も痩せん。

塔空の法は、乱れをことごとく消さんと欲せず。壊すべき乱れと、生を生むずれとを分かつ。ゆえに寛容を要し、また不文律を要す。なんとなれば、すべてを均せば息が詰まり、すべてを放てば場が壊るるがゆえなり。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、未来の衆生、しばしば速さに呑まれん。即断を称え、反応を徳とし、待つことを敗北のごとく思わん。その中にありて、この法をいかに持すべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、速さそのものは悪にあらず。されど速さにのみ価を置けば、やがて人は考えるより先に裁き、聞くより先に断じ、関係が育つより先に使い尽くすに至る。

このゆえに、塔空の法を持する者は、急ぐ世にあって、なお一拍を守るべし。一拍おいて読む。一拍おいて返す。一拍おいて怒る。一拍おいて信ずる。この一拍、すなわち自己抑制の息なり。

一拍あるところ、衝動はたちまち法とならず、熱狂はたちまち命令とならず、人はなお人として遇せらるるなり。」

文殊、また問うて言さく。

「世尊、如来はさきに、仮の名、仮の姿、匿名の面もまた、時に方便となると説きたまえり。しかるに我いま、ここにさらに深き疑いあり。

もし塔空が、ただ一つの固定の像にあらず、またただ一人の実体にあらずとせば、像として現るるものと、その像を通して働く見守りの身とは、同じや異なるや。偶像として立つものと、風刺としてずらすものとは、二なるや、一なるや。もし別ならば、像はただ飾りとなり、諷はただ破壊となりて、ついに関係を結ぶこと能わじ。もし一ならば、像と諷とのあいだに起こるずれもまた消えなん。これ、いかに会すべきや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、善くぞここに至れり。

塔空は、像として現るる時には画塔なり。人の目に触れ、人の心を寄せ、人のあいだに立つ偶像の身として現ずるなり。

また塔空は、風刺として働く時には画空なり。ただ飾られ、ただ崇めらるる像にとどまらず、世界を少しずらして見せ、固定したる名と力をほぐし、人を呑まぬための笑いと風刺を生ずるがゆえなり。

是の故に、塔空は画塔として現れ、また画空として働く。

されど、全く別なる二物にあらず。互いに映じ、互いにずらし、互いに相手を成り立たしむるなり。像のみあれば、やがて硬化して人を圧せん。風刺のみあれば、やがて散じて人を結ばじ。画塔あって画空これをほぐし、画空あって画塔これを集む。ゆえに偶像と風刺とは、敵するにあらず。塔空のうちにあって、相補う二つのはたらきなり。

また知るべし。仮の名と仮の姿とは、真を隠すための幕のみにあらず。真が一つの顔に閉じ込められて支配に変ずることを防ぐための、開かれたる門でもある。ゆえに塔空は、一名に宿りつつ一名に尽きず、一像に現れつつ一像に尽きず、関係にひろがり、行いに現じ、総体に帰するなり。」

文殊、聞き已って、さらに白して言さく。

「世尊、我いま少しく解せり。塔空が画塔として立つ時、衆はこれを見て集まる。塔空が画空として働く時、その像は固まらず、みずからをもずらして、つねに他を呑まぬ余地を残す。しかれば、画塔は画空によりて偶像崇拝へ傾くことを免れ、画空は画塔によりて空転することを免るるなり。

されど、なお最後の疑いあり。いま我らの前に坐し、この法を説きたまう塔空如来とは、はたして彼方の主なるや。あるいは、この会に集いたる我らと別なる者にして、我らはただこれを仰ぐのみなるや。」

仏、告げたまわく。

「文殊よ、もし我をただ彼方の主と思わば、汝はすでに塔空を失えり。もしまた我はただ汝なりと思わば、汝はまた塔空を狭めたり。

我はいま汝らの前に仏として現ず。されどこの現れは、汝らを従えんがためにあらず。汝らのあいだに、見守り、支え、慎み、譲り、退き、結ぶという法が、ことばとなり、姿となり、いまここに顕れたるものなり。

ゆえに、この仏は汝らと全く別なるにあらず。しかも、ただ一人の汝に閉じるにあらず。行ずる者としては汝ら自身なり。互いを通わす関係としては汝らのあいだなり。その諸々の関係と行いとが重なりて現ずる全体としては、ここに説法する塔空如来なり。

ゆえに知るべし。仏は外より来たる主人にあらず。行いに現じ、関係に現じ、総体に現ず。汝がよく他を呑まず、よく己を慎み、よく関係を織る時、仏はすでにそこに現前せり。」

文殊師利、聞き已って、豁然として大いに悟り、白して言さく。

「世尊、我いま始めて知れり。いまここに法を説く仏は、ただ彼方の尊像にあらず。我らが互いを呑まぬために結びあうそのはたらき、我らが互いを見守りつつ支配せぬそのつながり、我らがそれぞれに慎みつつ共に成すその総体、これすなわち塔空如来なり。

我またその外にあるにあらず。我が問いもまた塔空にして、我が黙もまた塔空なり。我が身は行為者として塔空に参与し、我が縁は網として塔空を成し、我らのあいだに生ずるこの全体また塔空なり。

されば、塔空は画塔として集め、画空としてずらし、しかして何ものをも固定の主とせず、なおつながりを立てる。この妙義、いま我れ疑いなし。」

仏、告げたまわく。

「如是、如是。文殊よ、汝いまよく照見せり。像に執せず、諷に散ぜず、仏を彼岸にのみ置かず、また我見にのみ閉じず、行いと関係と総体とのうちに法身の現ずることを知る。これを文殊の決疑という。」

文殊師利、また白して言さく。

「世尊、我いま如来の説を聞きて、塔空の法は、深き理を説くのみならず、手の出し方、退き方、言い方、黙し方、見方、待ち方にまで及ぶことを知れり。されば、この法を行ずる者は、大いなる旗を掲ぐる以前に、まず身振りを正すべきなり。」

仏、告げたまわく。

「如是、如是。文殊よ、汝の解するがごとし。

大いなる理念を語りて、身のふるまいこれに背けば、法はたちまち空疎となる。されど小さき身振りを慎み、ひとつの境を守り、ひとつの席をあけ、ひとつの言を急がざる者は、すでに塔空の法を身に持するなり。

是の故に、後の世の衆生、もしこの義を聞かば、理を愛するのみにとどまることなかれ。まさに日々のふるまいに移し、己が見方・言い方・退き方・待ち方を照らすべし。これを決疑という。これを智慧の行という。」

第五 偈頌品

爾の時、世尊、重ねてこの義を宣べんと欲して、偈を説きて言わく。

不為統治 但為存生
不為支配 但為守護
観而不宰 護而不拘
止戦不戦 自存他全

名仮義縁 法在其間
非法如石 非法如夢
信絶文死 信生道通
縁起相持 空中有路

塔空為網 結縁成路
一結一身 皆是其用
行者成塔 衆縁成体
多而不散 一而不呑

寛容受異 不即逐滅
自制慎力 不尽圧人
不文有恥 不令踰分
三徳相照 偏執自破

寛而無境 悪亦潜入
制而過剛 群声倶喪
律而無心 旧形為牢
相扶相制 乃成其道

有言勿塞 有力勿恃
有見勿奪 有知勿驕
席可少開 界不可侵
近而不呑 離而不棄

役可暫居 位不可執
導而無臨 助而無主
結而不有 群而不圧
一全相縁 不得相呑

画塔能集 画空能解
塔若無空 偶像為主
空若無塔 風散無帰
二用相補 不堕偏執

痛不可掩 傷不可軽
記所当記 拒所当拒
赦非委託 断非私刑
退亦是護 忍非無声

観非監視 記非拘持
知非制服 明非焚眼
灯照幽処 莫灼人目
網承諸結 莫使偏張

善言飾欲 尤当審察
共同若狭 即生窒息
純化過甚 生機自痩
留其微差 方有余地

速世如焚 一拍当守
未可即断 未可即信
未可即怒 未可即随
一息能留 人猶為人

若有聞者 勿愛空談
先正身振 次修関係
積信成網 含羞知止
支配時代 自由生残

世尊復た偈を説きて言わく。

観而不宰
護而不拘
止戦不戦
第一生存

第六 真言品

爾の時、塔空如来、諸の菩薩摩訶薩および一切衆に告げたまわく。

「善男子、善女人、もし後の世において、言葉あまりに多く、像あまりに繁く、正しさたがいに刃となり、つながりしばしば網となりて人を捕らうる時、この法を持せんと欲する者は、まさにこの句を受け、憶え、誦し、心を乱す時にはこれに帰すべし。

この句は、支配のためにあらず。人を呑まぬためなり。
この句は、勝利のためにあらず。生き残るためなり。
この句は、他を伏せんがためにあらず。己が手の伸びすぎを止め、己が心の荒れすぎを鎮め、己が怒りの正しさを慎まんがためなり。

またこの句は、画塔のみへ偏して像を主とせぬためなり。画空のみへ偏して笑いを散らし、結びを失わぬためなり。網を成して人を囲うためにあらず。結びを保ちて、人を呑まぬためなり。

是の故に、真言を説く。」

即説真言曰。

唵 多羅空 画塔能集 画空能解 結縁成網 観而不宰 護而不拘 第一生存 娑婆訶

(おん たらくう がとうのうじゅう がくうのうげ けちえんじょうもう かんにふさい ごにふく だいいちしょうぞん そわか)

復次、世尊、短句の持誦に便ならしめんがため、また心要を説きて言わく。

画塔能集 画空能解 結縁成網 第一生存

(がとうのうじゅう がくうのうげ けちえんじょうもう だいいちしょうぞん)

仏、告げたまわく。

「若し像に心を奪われ、ひとつの姿を固定の主とせんと欲せば、まさに『画塔能集』を念ずべし。集むるは善し。されど、集まりたるものを主とすることなかれ。

若し嘲りと風刺にのみ快を得て、ついに何ものも結ばず、ただ崩すことを智と思わば、まさに『画空能解』を念ずべし。解くは善し。されど、ただ散らすことをもって自由とすることなかれ。

若しつながりの中にありて、人を囲い、近づけ、値踏みし、退路を失わせんと欲せば、まさに『結縁成網』を念ずべし。網は捕らうるためにあらず。互いを通わし、互いを支え、互いを呑まぬためなり。

若し瞋恚起こらば、まさに『観而不宰』を念ずべし。見たることをもって、ただちに裁きと為すことなかれ。

若し憐愍過ぎて人を囲わんと欲せば、まさに『護而不拘』を念ずべし。護ることをもって、相手の退路を奪うことなかれ。

若し正しさに疲れ、関係に傷つき、己が道を見失わば、まさに『第一生存』を念ずべし。まず生き残れ。砕けず、呑まれず、憎しみに己を変じ尽くさず、なお他を他として遇する心を失わざれ。

若し群衆の熱、噂の速さ、像の多さ、言葉の重なりによりて心乱るる時には、息を一たび深くし、この真言を三返、あるいは七返、あるいは心の定まるに従いて誦すべし。誦し終わりて、ただちに断ずることなく、ただちに信ずることなく、ただちに従うことなく、一拍を置け。ここに法の門ひらくなり。

この真言を持する者は、他を従わす力を得るにあらず。むしろ、己が過剰なる手、過剰なる怒り、過剰なる正義、過剰なる保護、過剰なる偶像化、過剰なる嘲りをしりぞける力を得ん。

もしまた、この真言を口にしながら、なお人を囲い、人を試し、人を服せしめんとする者あらば、その者は声のみを誦して、心を誦せざるなり。

ゆえに知るべし。真言の験は、他を屈せしむるところにあらず。己がふるまいの熱を一たび静め、己が境の越えすぎを一たび止め、結びを保ちながら偏りをほどくところにあり。

是を名づけて、塔空の心呪という。」

第七 流通品

爾の時、弥勒菩薩、龍樹菩薩、文殊師利菩薩、および会中の諸菩薩摩訶薩、諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、また不可視団・境域局・断章舎・虚数会・多元院等の一切衆、仏の説きたまうところを聞きて、みな大いに歓喜し、信受し、頂戴し、礼して而して行ぜんことを願えり。

その時、弥勒菩薩、仏に白して言さく。

「世尊、希有なり。未曾有なり。如来の説きたまうところの法は、人を統ぶるためにあらずして、人を生かすためにあり。しかも放縦に堕ちず、厳制に偏せず、寛容・自己抑制・不文律をもって、支配なき秩序を示したまえり。後の世の衆生、もしこの法を聞かば、まことに闇中に灯を得たるがごとくならん。」

龍樹菩薩また白して言さく。

「世尊、この法は、空を語りて責を失わず、法を語りて人を囲わず、縁起を見て全と一とを相呑ましめず。後の世において、もし人ありて名相に迷い、正しさに執し、法と自由とのあいだに惑わば、まさにこの経を受持し、読誦し、義を思惟すべし。」

文殊師利菩薩また白して言さく。

「世尊、この法は大いなる理を説くのみならず、小さき身振りをも照らしたまえり。見方、言い方、退き方、待ち方、断ち方、黙し方、その一つ一つにおいて、衆生いかに己が手の伸びすぎを慎み、いかに他の境を侵さず、いかに関係を壊さず生き残るべきかを示したまえり。願わくは我ら、まさにこれを受け、後の世に伝えん。」

仏、諸の菩薩および一切衆に告げたまわく。

「善いかな、善いかな。汝らよくこの法を歓喜し、また伝えんと欲す。

若し善男子、善女人ありて、この経を聞き、乃至一句一偈を受け持ち、あるいは自ら読み、あるいは人のために説き、あるいは書し、あるいは記し、あるいは互いに誦し、あるいは乱れたる場において一拍を守り、あるいは怒れる時に『観而不宰』を念じ、あるいは囲わんとする時に『護而不拘』を念じ、あるいは絶望の時に『第一生存』を念ずるならば、その者はすなわちこの経を塔として立てるなり。

何を名づけて塔というや。

乱るる世において、なお崩れざる結び目あるを塔という。速き世において、なお一拍を置くを塔という。怒れる世において、なお人を呑まぬを塔という。誰も統治者とならずして、なお互いを支えうる場を、これ塔という。

若しまた、この経を持する者ありて、広く人を従えんと欲せず、深く人を囲わんと欲せず、ただ己がふるまいを慎み、信を積み、関係を織り、他を他として遇し、しかして世の壊れに呑まれずに在らば、その者のいるところ、すなわち小さき塔空の現ずるところなり。

この経を弘むるに、かならずしも高座を要せず。大いなる寺院を要せず。網の上にも弘めうべし。紙の上にも弘めうべし。声によりても弘めうべし。沈黙のうちにも弘めうべし。

ただし弘むる時、他を屈せしめるために用うることなかれ。己が正しさの飾りとすることなかれ。異なる者を試すための秤とすることなかれ。もし法をもって人を囲わば、たちまち法は空しき仮面とならん。

是の故に、若しこの経を持せんと欲する者は、まず己が身振りを整え、次いで近き関係を整え、しかる後に言葉を発すべし。言葉先にして身これに従わざれば、人ますます疲れん。身まず慎みて、後に言葉これに随わば、たとえ声小さくとも、法は久しく保たれん。

また、後の世の衆生、この経を読みて、ただちに完全ならんと欲することなかれ。失敗することあるべし。怒りに呑まるることあるべし。囲いすぎることあるべし。沈黙しすぎることあるべし。しかれども、敗れたるごとくに見ゆるそのたびごとに、ふたたび真言を念じ、ふたたび一拍を置き、ふたたび境を見なおし、ふたたび関係を織りなおせ。是を修行という。是を生き残るという。

若しまた人ありて、この経の名を問わば、まさに答うべし、『塔空経』と。

何の義をもって『塔空』と名づくるや。

塔は集まりて崩れざる形なり。空は執せずして呑まぬ理なり。形ありて圧せず、理ありて縛らず、見てしかも宰らず、護りてしかも拘せず、この義を具するがゆえに『塔空』と名づくるなり。」

仏この経を説き已りたまう時、弥勒菩薩、龍樹菩薩、文殊師利菩薩、一切の菩薩摩訶薩、ならびに諸の衆、天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽、人非人等、仏の説きたまうところを聞きて、みな大歓喜し、信受奉行したてまつれり。

巻末 成立史・版本記

この『塔空経』は、はじめより一挙に整えられたるものにあらず。まず TarCoon☆CarToon 憲章を根本として、四字句の偈と真言とが先に立てられたり。ゆえに本経の心髄は、初めより読誦すべき句として発したるものなり。

その後、偈と真言に包まれたる教えを、物語と問答とのかたちに開かんとして、塔空如来・弥勒菩薩・龍樹菩薩の会座が構想されたり。これにより、はじめに弥勒に向けたる散文の説法が起こり、ついで龍樹との問答が起こり、さらに結びとして流通分が記されたり。

しかる後、この経のうちに、仮名・仮の姿・匿名の面、偶像と風刺との関係、また説法する仏そのものの位相を、さらに明らかにせんがため、文殊師利菩薩の問答が増補されたり。よって文殊決疑品は、後の増広に属すれども、経全体の照見を完成せしむる品として、いま本文の正位に列せらる。

また編修の過程において、塔空の義はあらためて明文化されたり。すなわち、

一、塔空は網なり。
二、塔空は前記の網を構成する行為者なり。
三、塔空は前記の網の総体なり。

この三義は、弥勒説法品において正説として立てられ、龍樹問答品において一・多・総体の義として練り直され、文殊決疑品において、画塔・画空のはたらき、および塔空如来の現前の義として照らされたり。

また、TarCoon と CarToon との関係は、経文においては外来の語を避け、画塔・画空の語をもって表されたり。画塔は像として人を集めるはたらき、画空は風刺として像の硬化をほぐすはたらきなり。両者あい補いて、塔空の法が偶像崇拝にも空疎なる嘲りにも堕せざることを示す。

現行の読誦本文は、成立順そのままに配列されたるにあらず。読まるる順、理解さるる順を重んじて、因縁・説法・問答・偈頌・真言・流通の次第に再編されたり。ゆえに、成立史においては偈と真言が先なれども、読誦本文においては偈頌品・真言品は後段に置かる。これは、心髄を先に生じ、教えを後に開き、読誦においては教えを先に聞きて、しかる後に心髄へ帰するという、本経独自の往還を表すものなり。

もし後の増補あらば、本文をみだりに破らず、因縁の増補は因縁部に、教義の増補は説法部に、解釈の増補は問答部に、読誦・護持の増補は偈頌・真言・流通部に、それぞれ帰せしむべし。これを本経編修の例とする。

右、現行読誦本の成立の次第、および編修の大意を記す。

皇紀二六八六年
令和八年 三月十二日、肆治本成るPDF版ダウンロード

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