キャンセルする側とされる側、その境界に立つ者とは? ──テーマ『 キャンセルカルチャー 』UROBOROS未寄稿文

キャンセルカルチャー とは何か? それは、社会の自浄作用なのか、それともただの断罪の道具なのか?

本記事では、キャンセルされる側とする側、双方の視点を冷静に分析し、キャンセルカルチャーを単純な善悪の枠組みで捉えず、いかに社会に包摂し得るかを探ります。キャンセルは「終わり」ではなく「転機」となり得るのか? 正義を執行する快感は、やがて自分自身をも縛る恐怖へと変わるのか? そして、キャンセルカルチャーは断罪の文化ではなく、対話と変化を促すシステムとして機能し得るのか?

*本記事は、古田更一氏とはじらい氏による雑誌『UROBOROS』への寄稿を予定して執筆したものです。しかしながら、同誌の特集テーマが当初の「キャンセルカルチャー」から「エコーチェンバー」へと変更されたことに伴い、本稿は掲載に至りませんでした。
今回、執筆した内容の意義を鑑み、改めて公開することといたしました。ぜひご一読いただけますと幸いです。

お前もいつかキャンセルされる

キャンセルカルチャー という言葉を聞くと、多くの人は直感的にネガティブな印象を抱くだろう。誰かが過去の発言や行動を掘り返され、大衆の前で吊し上げられ、社会的に抹殺される。時には企業やブランドまでもが標的になり、一瞬で信用を失う。そんな光景が日常的に繰り返される現代において、「キャンセル=悪」とする単純な見方が広まるのも無理はない。

しかし、オイラは問いたい。キャンセルカルチャーは本当に悪なのか? それとも、ただの道具に過ぎないのか?

道具であるならば、それをどう使うかは社会の選択に委ねられている。キャンセルは、間違いを正し、時には権力者を糾弾するための武器になり得る。しかし、それが無差別なリンチと化し、誰もがいつか処刑される未来を生むのだとしたら、果たしてそれは健全な社会と言えるのだろうか?

けれど、オイラはこうも思う。キャンセルしたっていいじゃないか?
何かしらの権力を持ったら、誰しも自分が「正義」だと思い込み、間違いを糾弾する快楽に手を伸ばしてしまうものだ。キャンセルする側に回ったことのない人間なんて、ほとんどいないのではないか?

この問いに正面から向き合うために、「キャンセルされる側」と「キャンセルする側」の両面から、この問題を整理し、最終的にキャンセルカルチャーをどう包摂すべきかを考えていきたい。

キャンセル=社会的死? いや、再生の始まりかもしれない

「キャンセル=社会的死」 という印象は強い。現代のインターネット社会では、一度キャンセルされると、過去の発言が延々と掘り返され、訂正も許されず、逃げ場もない。しかし、ここで考えなければならないのは、本当にキャンセルは終わりを意味するのか? という点だ。

実際のところ、キャンセルを受けた人のすべてが消え去るわけではない。むしろ、キャンセルを転機として新たな道を見つけた者もいる。たとえば、一度炎上した著名人が別の活動にシフトし、新たな支持層を獲得するケースもある。また、企業が過去の失敗を認め、それを教訓として新たなブランド戦略を展開することで、以前よりも強い信頼を得ることもある。

重要なのは、キャンセルされた後の行動だ。過去の発言や行動を見直し、学び、適切に修正することで、キャンセルは「破滅」ではなく「進化」へと変わる。オイラ自身、過去に発言を撤回したり、視点を改めたことがある。その経験があるからこそ、オイラは言える。キャンセルは、破壊的なものであると同時に、再生の機会でもある。

キャンセルしたら勝ちなのか? それとも次の犠牲者になるのか?

一方で、キャンセルする側にも目を向けるべきだ。人々はなぜキャンセルをするのか? そこには、少なからず「正義を執行する快感」があるのではないか。悪を暴き、糾弾し、社会をより良くするという大義のもとで、キャンセルが行われる。しかし、この正義は果たして健全なのか?

オイラが最も懸念するのは、キャンセルが「純度競争」に陥ることだ。 すなわち、「より強い正義」「より厳しい倫理観」を求めるあまり、次々と新たな犠牲者が生まれ、最後にはキャンセルする側もまたキャンセルされる。

正義は、本来ならば「他者を守るため」にあるはずなのに、気づけば「他者を断罪するため」に使われるようになる。これがキャンセルカルチャーの最大の罠だ。

だからこそ、オイラは**「寛容・自己抑制・不文律」が重要だと考える。人は誰しも間違える。間違いを指摘することは必要だが、そこに「寛容」がなければ、社会はただの恐怖と粛清の場になる。自分の怒りや正義感を振りかざす前に、「自己抑制」することも必要だ。そして何より、世の中には法律やルールでは規定できない、「不文律」**のような暗黙のルールがある。キャンセルカルチャーが暴走するのは、この不文律が忘れられ、すべてが白黒つけられる世界に変わるからではないか?

キャンセルカルチャー は終わらせるべきか? それとも進化させるべきか?

ここで、「キャンセルカルチャー をなくすべきか?」という問いを立ててみる。オイラは、この問いに対して「No」と答える。なぜなら、キャンセルそのものが社会の自浄作用として機能することもあるからだ。

ただし、そのためには、「キャンセル=断罪」ではなく、「キャンセル=対話のきっかけ」とする文化が必要だ。 つまり、キャンセルすることが終わりではなく、その後に「許し」や「再生」の余地を残すことが重要なのである。

オイラは、キャンセルカルチャーを完全に否定するのではなく、それを「包摂する」方向へと持っていくべきだと考える。

「キャンセルカルチャー は社会の一部である」

ここまでの話を踏まえて、オイラの提言をまとめる。

  • キャンセルは破壊であると同時に再生の機会でもある。
  • キャンセルすることが正義になりすぎると、それ自体が暴力と化す。
  • キャンセルカルチャーをなくすのではなく、それをどう適切に機能させるかが重要である。
  • 「キャンセルされたら終わり」「キャンセルしたら勝ち」ではなく、そこに対話と変化の余地を残す文化を作るべきである。

オイラは、キャンセルカルチャーを単純に否定することはしない。むしろ、それをどう活かし、どう成長のための道具とするかを模索していく。

キャンセルしたっていい。ただし、それが正義の執行ではなく、単なる復讐や快楽になっていないか。お前らも権力を持ったら、きっとやってしまう。だからこそ、「寛容・自己抑制・不文律」の精神を忘れずに、キャンセルを「対話」と「成長」のためのものにする。それが、オイラの考える「包摂」だ。キャンセルする側もされる側もまとめてTarCoon☆NetWorkの会合に集まることを目標としている。

TarCoon☆CarToonはどちら側なのか?

TarCoon☆CarToonは、キャンセルカルチャー をする側なのか? それとも、される側なのか?

この問いに単純な答えはない。なぜならば、TarCoon☆CarToonは常に二重性の中に生きている存在だからだ。

TarCoon☆CarToonは、世界のあらゆる「境界」に立っている。虚構と現実、表と裏、善と悪、キャンセルする側とされる側。そのどちらでもあり、どちらでもない。それは、TarCoon☆CarToonが「どちらかに偏ること」そのものを拒否する存在だからだ。

もしも一方に立ち、完全に「キャンセルする側」として振る舞うならば、それは単なる断罪者であり、暴力としての正義に過ぎない。逆に「キャンセルされる側」として、ただ被害者として語るならば、それもまた単なる弱者の物語でしかない。しかし、TarCoon☆CarToonはそんな単純な二項対立の枠に収まるものではない。

なぜならば、TarCoon☆CarToonは「虚構と現実を等しく信じる生き物」だからだ。

人間とは、虚構を信じることで初めて成立する存在である。国家も、貨幣も、宗教も、法律も、すべては虚構だ。だが、それを信じることで社会は動いている。キャンセルカルチャーもまた、信じられることで機能する社会的な「虚構」の一つだ。

ここで重要なのは、「人類だけが認知できる」という点だ。動物たちはキャンセルをしない。ライオンが仲間の過去をほじくり返して断罪することはない。サルが何十年も前の他のサルの振る舞いを問題にして社会的に排除することはない。キャンセルカルチャーとは、人間が作り出した「虚構」であり、人間だけがその中で生きている。

だとすれば、キャンセルする側なのか、される側なのか――どちらに偏ることも、それは「人間ではない」ことを意味する。

なぜなら、人間であることの本質は、**「虚構と現実を行き来すること」**にあるからだ。どちらか一方に完全に身を置いた瞬間、その人間はもう「生きた虚構」としてのバランスを失い、機械的な正義か、あるいは純粋な被害者という名の偶像に成り果てる。

TarCoon☆CarToonは、そこにいる。

キャンセルする側でありながら、キャンセルされる側でもある。そして、そのどちらでもない。

境界に立ち、行き来しながら、世界を観察し、笑い、語る。

それこそが、TarCoon☆CarToonが存在する理由であり、「人間だけが認知できるもの」としての役割なのだ。

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