TarCoon☆CarToonのスローガンと、人類補完機構(Instrumentality of Mankind)

現代の社会運動やキャンペーンにおいて、「スローガン」や「キャッチコピー」は、ごく当たり前の道具になりました。SNSのタイムラインには、正義や平等、多様性や共生をうたう言葉があふれ、私たちは日々、無数の「正しさ」を宣言するフレーズにさらされています。それらは一見、より良い社会を目指すための、前向きで開かれた合言葉のように見えます。

しかし同時に、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)に代表されるこうした言葉は、ときに窮屈さや息苦しさとも結びつきます。誰かを傷つけないための配慮として生まれたはずの「正しさ」が、いつのまにか人を裁くための基準となり、「正しい側」と「間違っている側」を切り分ける境界線として働いてしまうことも少なくありません。その反動として、「反ポリコレ」を掲げてあえて乱暴な物言いを好む態度もまた、インターネット空間で存在感を増しています。

そのどちらとも少し違う場所に立とうとしているのが、TarCoon☆CarToon の掲げるスローガンです。その背景には、コードウェイナー・スミスのSF作品に登場する「人類補完機構」の標語があり、単なる倫理的なお題目ではなく、権力と倫理のねじれを自覚した、きわめてアイロニカルな出自を持っています。そこには、「正しさ」を全面的に否定するわけでも、無邪気に信奉するわけでもない、「非ポリコレ」としての態度がにじんでいます。

私たちは、このような「正しさ」をめぐる賛否の対立を前提とせずに、どのようにして言葉と倫理に向き合うことができるのでしょうか。そのひとつの手がかりとして、本稿では TarCoon☆CarToon のスローガンとその出典に立ち返り、「反ポリコレ」とも「ポリコレ」でもない第三の位置──「正しさを武器にしないための倫理」について考えてみたいと思います。

TarCoon☆CarToonは補完機構の一員!?

TarCoon☆CarToon には、こんなスローガンがあります。

監視せよ、しかし統治するな。
戦争を止めよ、しかし戦争をするな。
保護せよ、しかし管理するな。
そしてなによりも、生き残れ!

これを読んだ人から、

「全部同じことを言ってるように見える」
「なんだかポリコレっぽいね」

と言われて、オイラはちょっとショックを受けました。

というのも、このスローガンはオイラのオリジナルというより、
コードウェイナー・スミス(Cordwainer Smith)のSF世界から引いてきたものだからです。

SF的ルーツ:コードウェイナー・スミスと「人類補完機構」

コードウェイナー・スミスは、未来史「Instrumentality of Mankind(人類補完機構/人類補完機構シリーズ)」で知られるSF作家です。ウィキペディア+1
彼の作品の世界では、「人類補完機構(Instrumentality)」は、人類全体の運命を見守る、半ば神官的で半ば官僚的なエリート機構として描かれています。

その「補完機構」が掲げている永久スローガンが、まさにこれです。

Watch, but do not govern;
stop war, but do not wage it;
protect, but do not control;
and first, survive!

このスローガンは、短編「酔いどれ船(英語版)」(Drunkboat 1963)の中で明示されます。gutenberg.ca+1

  • 人類補完機構は、人類の運命を“見守る”が、直接統治する存在ではないと自称する。
  • 戦争は止めるが、自分たちから戦争を仕掛けることはしない、と言う。
  • 守るが、管理はしない、と言い張る。
  • そして何よりも、「まず生き残れ」と宣言する。

けれど、スミスの物語の中で描かれる補完機構は、
「本当に統治していないのか?」「本当に管理していないのか?」と問いたくなるほど、
実際には冷酷で、秩序維持のために個人の自由や幸福を容赦なく犠牲にする存在でもあります。Raingod+1
だからこのスローガンには、すでにアイロニーが埋め込まれているんですね。

オイラがこの言葉をTarCoon☆CarToonに持ち込んだのは、

  • ただ「格好いい標語だから」ではなく、
  • 「理想としてはそうありたいが、現実にはそうなりきれていない権力」のねじれを自覚した言葉として気に入っているからです。

TarCoon☆CarToonは、「補完機構ごっこ」をしたいわけではなく、
補完機構のスローガンを、今度は「市民側」「観察者側」に引き倒して使い直す試みでもあります。

「4つとも同じ」じゃなくて、同じ芯を持つ4つの局面

あらためて日本語版のスローガンを見直してみます。

監視せよ、しかし統治するな。
戦争を止めよ、しかし戦争をするな。
保護せよ、しかし管理するな。
そしてなによりも、生き残れ!

これらは、「同じことを4回言っている」のではなく、
同じ芯(権力の自己抑制)を、4つの局面に分けて言っているとオイラは考えています。

1. 監視せよ、しかし統治するな。

テーマ:見ること/知ることの権力

  • 監視そのものは否定していない。
  • 「見ているからといって、支配者の席に座るな」という警告。

プラットフォーム運営者、インフルエンサー、教師、親、国家。
「見ている側」がすぐ「統治する側」になってしまう危険に、ブレーキをかける一文です。

2. 戦争を止めよ、しかし戦争をするな。

テーマ:暴力と正義

  • 戦争や暴力を止めるために、介入や力が必要な場面はある。
  • でも、その「止める」という名目で、自分が“正義の戦争”を始めないように。

革命ごっこを煽らない「非革命ラディカル」という立ち位置とも重なります。

3. 保護せよ、しかし管理するな。

テーマ:ケアと管理の分離

  • 守ること、支援することは大事。
  • しかし、「守る」ことを口実に、相手の生活や自由を囲い込まない。

善意の名の下に、管理社会・監視社会がじわじわ広がっていくことへの警戒です。

4. そしてなによりも、生き残れ!

テーマ:倫理より先にある、生そのもの

  • 上の3つの倫理は、生き残った者にしか実践できない
  • 綺麗な死より、雑でもしぶとい生を選ばざるを得ない瞬間がある。

「倫理も大事だが、まずは生き延びろ」という、
きれいごとだけではない冷たさ/現実感を、最後の一行に詰めています。

反ポリコレではなく、「非ポリコレ」という立ち位置

ここで一度、「ポリコレ」との関係も整理しておきます。

反ポリコレ(アンチ・ポリコレ)

  • ポリティカル・コレクトネスそのものを敵視し、攻撃する立場。
  • 「ポリコレなんてくだらない」「表現の自由の敵だ」と言いながら、
    わざと差別的な表現や暴力的な冗談を強めていく方向に行きがち。

これは、「傷つく方が悪い」「不快に思うな」という態度と相性がいい。

非ポリコレ(ノン・ポリコレ)

オイラがいたいのは、こちらです。

  • ポリコレの問題意識(差別や暴力を減らしたい)そのものは否定しない。
  • けれど、「正しさ」を掲げて他人を監視・裁くゲームには乗らない。
  • だから、「ポリコレのルールを運用する側/管理する側」には立たない。

つまり、

TarCoon☆CarToon は “反ポリコレ” じゃなくて “非ポリコレ” です。
ポリコレと喧嘩したいわけじゃなくて、
「正しさで人を管理する側には立たない」という別軸の倫理を置いているだけなんです。

オイラが願っているのは、

  • 「あ、この人はポリコレ叩きしたいだけの人じゃないな」
  • 「でも、ポリコレの“管理する力”にはちゃんと警戒しているんだな」

と感じてもらうことです。

「正しさを武器にしないための倫理」として

このスローガンの背景には、もうひとつの標語があります。

寛容 ∥ 自己抑制 ∥ 不文律

これは、TarCoon☆CarToonがずっと個人的に掲げているキーワードです。

  • 寛容:自分と違うものを即座に排除しない。
  • 自己抑制:自分の欲望や衝動——とくに「正しさを振りかざしたくなる衝動」を抑えること。
  • 不文律:法律や規約には書ききれない「暗黙の了解」「紳士協定」を大切にすること。

ここで重要なのは、

「正しいことを言う」かどうか ではなく、
「正しさを武器にしないでいられるか」どうか

という一段ねじれた倫理です。

  • 誰かを守るとき、ついその人を「管理」してしまっていないか。
  • 誰かを批判するとき、自分が「統治者」の位置に滑り込んでいないか。
  • 戦争を止めたいと言いながら、自分も“正義の戦争”を始めてしまっていないか。

その自問自答を続けるための「注意書き」として、
コードウェイナー・スミスのスローガンを借りてきて、TarCoon☆CarToonの文脈に置き直しているつもりです。

まとめ:補完機構のスローガンを、市民側の倫理に引き倒す

コードウェイナー・スミスの世界では、「人類補完機構」は
「人類のために働く、しかし時に残酷で冷たいガーディアン」として描かれます。ウィキペディア+2Raingod+2

その彼らが掲げる、

Watch, but do not govern;
stop war, but do not wage it;
protect, but do not control;
and first, survive!

というスローガンを、オイラは今度は権力側ではなく、市民側/観察者側の倫理宣言として引き受けたいと思っています。

だから、TarCoon☆CarToonのこのスローガンは、

  • ポリコレ賛成・反対を表明するための政治スローガンではなく、
  • 「正しさ」とどう距離をとるか、
  • そして、どうやって「正しさを武器にしないで生き残るか」

をめぐる、ちょっとひねくれた倫理宣言です。

もしこの言葉に何か感じるものがあったら、
補完機構の物語とセットで、
そして「寛容 ∥ 自己抑制 ∥ 不文律」というキーワードとセットで、
それぞれの現場で噛み直してもらえたら、オイラとしては本望です。

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