日本における「 保守革命 」の可能性を考える ──アルミン・モーラーの『ドイツの 保守革命 』を読んで

アルミン・モーラーの『ドイツの 保守革命 』友人が翻訳されたということで、とても興味深く拝読しました。モーラーの「保守革命」という概念が、単なる伝統の復古ではなく、新たな秩序の創造を志向するものである点に改めて考えさせられます。日本における「保守革命」の可能性についても思いを巡らせ、自分なりの考察をブログにまとめましたので、もしご興味があればご覧いただけると幸いです。

【翻訳】吉川弘晃 アルミン・モーラー『ドイツの保守革命1918-1932』(一九五〇年初版)序文・第一章

この記事は、吉川弘晃さん【翻訳】吉川弘晃 アルミン・モーラー『ドイツの保守革命1918-1932』(一九五〇年初版)序文・第一章への応答記事です。まずは、『人文学の正午』第12号に掲載されています記事をご覧ください。残念ながら、吉川弘晃さんのモーラー翻訳だけは紙版でしか読むことができません。ご希望の方は「人文学の正午」編集委員会の方で雑誌をご注文下さいませ。
尚、こちらの話題はTarCoon☆NetWork内で、吉川弘晃さんから話題として提供していただきました。ありがとうございます。

日本における「 保守革命 」の可能性を考える ──歴史は《人間》をめぐる螺旋の問いである

アルミン・モーラーの『ドイツの 保守革命 』は、単なる反動ではなく、新たな秩序を模索する革新的な右派思想の集合体としての「保守革命」を描き出した。彼が整理したヴァイマル期の思想潮流は、ナチズムとは異なる「革新としての保守」の可能性を示し、戦後ドイツの政治思想にも影響を及ぼしたが、これは日本においても無関係な問題ではない。もし日本における「保守革命」を考えるならば、それはどのような形を取るのか。ここで一つの試みとして考えられるのは、国家と国民の関係を再構築し、社会のあり方そのものを刷新する仕組みとしての「臣民皆株式化制度」と「天皇資本論」の視点である。

日本において、国家は古来より天皇を中心とする象徴的な統合の枠組みを持ち、戦後は民主主義と資本主義のもとで、国民が「消費者」として機能する社会が作られてきた。しかし、これを超えて、国家そのものを一種の企業と見なし、国民を株式として発行し、金融市場で流通させるという構想は、現代の管理社会を根本的に変革する可能性を秘めている。ここで重要なのは、この仕組みが単なる経済的な制度設計ではなく、国家と個人の関係を再定義し、国民を単なる労働力や消費者ではなく「価値を生む主体」として位置付けることにある。

モーラーが「保守革命」を伝統の単なる復古ではなく、新たな社会秩序の構築と定義したように、日本におけるこの革命も、天皇という歴史的資産を単なる象徴としてではなく、国家ブランドとして機能させ、国際市場における価値を最大化することを目指すものである。現代の資本主義社会において、国家のブランド価値が経済に及ぼす影響は無視できず、例えばスイスの中立性が金融市場の安定資産としての価値を生み出し、イギリスの王室が観光や文化資本として経済効果を生むように、日本の天皇制もまた、市場経済の中で新たな役割を果たすべきではないか。ここで言う「天皇資本論」は、天皇制を単なる文化的・歴史的遺産として保全するのではなく、それを活用し、現代社会の文脈に適応させることで、新たな国家の役割を模索するものである。

では、ここで改めて問うべきは、「保守とは何か」ということである。一般に、保守とは伝統や既存の価値を維持するものと理解されがちだが、モーラーが示した「保守革命」の概念が明らかにするのは、保守とは単なる現状維持ではなく、「未来を形作るための伝統の活用」であるという視点である。これは、保守が単なる否定ではなく、新たな秩序を創造する運動になりうることを意味する。日本において「保守」とは、天皇制や日本独自の社会構造を維持することとされる場合が多いが、それを固定的なものとして扱うのではなく、むしろその価値を最大限に活用し、新たな社会のあり方へと適応させることこそが、本質的な保守の役割なのではないか。

モーラーの議論に即して考えるならば、これは伝統の維持を目的とするのではなく、伝統を活かして未来を創る試みとして位置づけられる。彼の研究がナチズムとの違いを強調しながらも新右翼の思想へと接続されていったように、日本においても保守と革新の交錯する地点で、新たな政治的・経済的構想を生み出すことは可能であり、それは現代の管理社会を超克し、《人間の再発見》へと繋がるものであるかもしれない。

ここでいう《人間の再発見》とは、単なる伝統への回帰ではなく、現代社会においてあらゆるものが最適化・管理されるなかで失われた「人間らしさ」を取り戻す思想的プロジェクトである。つまり、個人を労働力や消費者としてではなく、不確実性や葛藤の中に身を置きながらも、自由と責任を引き受ける文化的・実存的な主体として再定義することに他ならない。保守革命の目的が、過去の価値を機械的に復元するのではなく、現代的課題と接続させることにあるのだとすれば、その延長線上にある《人間の再発見》は、制度やイデオロギーに還元されない人間の流動的な本質に光を当てる実践でもある。モーラーが保守革命を「進歩史観」への対抗であると同時に、新たな社会秩序の構想と捉えたように、日本においてもまた、国家の形を再検討し、個人を制度の歯車ではなく、物語と関係性の中で生きる存在として再構築することが、新しい「保守革命」の姿として立ち現れてくるのではないだろうか。

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