友人から届いた一通の手紙には、誕生日を祝う言葉とともに、過ぎていった時間と、変わらずに続く関係への静かなまなざしが込められていました。それは「懐かしさ」というよりも、「今ここにいること」の重さを優しく照らすような文章で、TarCoon☆CarToonとしても、胸の奥でじんわりと響くものがありました。
この記事は、その手紙を受け取ったオイラが、少しずつ言葉をなぞりながら綴った返信文です。
手書きのお手紙の返信なので手書きにすべきかと思ったのですが、思いはすぐに残さないと消え去ってしまいそうだったので、ひとまずここに残します。そのうち手書きで清書をするでしょう。
「デッサンの様に、見つめる」 ── 関係性を描き出す恩返しのグラデーション
お手紙、ありがとうございました。
改めて、あっという間に時間が過ぎていたことに気づかされました。
「2018年からもう7年」って文字を見たとき、ちょっと言葉が止まりました。
日々の積み重ねって、そのときは気づかないけれど、後から振り返ると
とても静かに、でも確かに、積み上がっていたんだなぁと感じます。
たまにふと、あの頃のことを思い出します。
たくさんの人が出入りして、笑ったり怒ったり、励ましたりしてくれたり、
それぞれの場所に戻っていったり、なにかを持ち帰ったり。
みんな、それぞれの暮らしを、それぞれのリズムで続けているんですよね。
もちろん、もう会わない人もいるかもしれないけど、
それでも、何かの拍子に、記憶の中で会っていたりするんです。
不思議ですね。
オイラは、人を気にかけるって、デッサンをすることに近いなと思っています。
ただ描くだけじゃなくて、観察をする。
その人の輪郭や、ちょっとした表情のくせとか、
声の調子とか、そういうのを、描くみたいに、じっと見つめる。
すると、その人が誰かとどうつながっているかとか、
どんな色をしてるかとか、淡いグラデーションみたいに、見えてくる気がします。
でも、そうしても、ほとんどは見えていないんだなあ、って、
最近よく思うようになりました。
きっと抽象的に捉えすぎてディテールの描き込みが足りないんです。
だから、うまく言えないけれど、抽象化するより、具体に降りていくこと。
たとえば「優しい」と言う代わりに、
「疲れてるときに、そっとそばにいてくれる」とか、
そういう風に言葉を見つけていきたいんです。
それが今の自分の課題なのかもしれません。
TarCoon☆NetWorkのはじまりは、VALUというSNSで
VAという株を買ってくださった方々へのお礼のリストでした。
オイラのことを、ちょっとだけでも信じてくれたり、
面白がってくれたりした人たち。
それが嬉しくて、お名前を忘れないように、リストをつくったんです。
恩返しがしたいなと思って。
それがネットワークのかたちになっていった気がします。
もちろん、最近出会った人たちも、同じように、
なにか小さなものを交換してるような感じがして。
だから、このネットワークの共通点があるとしたら、
きっと「恩返し」なんだろうなぁと思っています。
もらったものを、ちょっとずつ、誰かに返していく。
そういう優しさの連鎖が、きっとこの世界のかたちなんじゃないかって、
そんなふうに信じています。
お手紙でいただいた言葉のなかに、ちゃんと信頼がありました。
はっきりとは言わなくても、
そこにそっと存在してくれていることが、どれだけ支えになるか、
わかっているつもりです。
何となく、なんだけど、でも、それって実はすごく特別なことなんじゃないかと
思ったりしています。
これからも、見えないところで、見守り合えたら嬉しいです。
また会えたときには、あのときの続きを、
おしゃべりできたらいいなと思っています。
たんじょうびのお祝いのことば、ありがとうございました。
優しい気持ちが届きましたよ。
TarCoon☆CarToonより