「支える」という行為に、どれだけの創造性があるだろうか。それは、表に立つことではないかもしれない。けれど、誰かの夢を支え、未完成の熱意にかたちを与え、静かに背中を押すこと──それもまた、立派な創造のひとつではないか。まえだ としゆきさんの「初めて写真集を作ることになった中堅デザイナーの話」を読みながら、そんなことを考えていた。紙の選定、製本の工夫、写真家の記憶と喪失に寄り添うデザイン。そこには、裏方であることを誇りとする美学と、関係性の中に生まれる創造の倫理が静かに息づいていた。そんなまえださんの仕事に共鳴しながら、オイラなりの感想を綴りました。よろしければご覧ください。
この記事は、まえだ としゆきのnoteで投稿された「初めて写真集を作ることになった中堅デザイナーの話|写真集ができるまで #01」の応答記事です。まずは、下記のnoteをお読みください。
創造は誰かを支えることで始まり、誰かと結ばれることで続いていく
「水は低きに流れ、人は易きに流れる」──この言葉の通り、日々の営みは多くの場合、慣れ親しんだ軌道に沿って進んでしまう。けれど、ほんの少しでもそこから逸れてみたとき、私たちはようやく、風景が新しく見えることがある。そんなことを考えていた矢先、まえだ としゆきさんの文章を読んで、ふと、ある言葉を思い出した。「不味いラーメンを食ってみたからこそ、今あなたとの関係もあるんでしょ?」──あの皮肉めいた一言を、オイラに向けて言ってくれたときのことだ。失敗や違和感すらも、何かをつくる側に立つ人間にとっては、必要な“素材”なのかもしれない。
15年という時間をグラフィックデザイナーとして積み重ねてきたまえださんは、自身のキャリアを「中堅」と呼びながらも、あえて不確かで、未知なる領域へと歩み出していく。初めての写真集制作。しかも、出版社は大学生が立ち上げたばかりの小さな存在で、資金調達はクラウドファンディング頼み。多くの人がためらうような状況だろう。だが、まえださんは、そうした未完成さと未熟さの中にこそ、支えるべき価値を見出していた。
オイラはTarCoon☆CarToonというプロジェクトを通して、「支える」という行為について何度も考えてきた。光の当たらない場所で誰かの輪郭を浮かび上がらせること。誰かが夢中で撒いた種を、別の誰かが水や光を与え、静かに根づかせていくこと。まえださんがTarCoon☆CarToonの思想を読み解き、二重線の星のシンボルを生み出したときも、そうした支えの連鎖のなかにいた。そして今、彼はその手を、若い表現者たちへと差し伸べている。
印刷会社との綿密なやり取り、紙の質感の吟味、製本方法の選定、色のわずかな違いに至るまでの配慮。それらは決して自己満足や趣味の域ではなく、写真家イケダサトルさんの作品──「記憶」と「喪失」という繊細なテーマに真正面から向き合った写真たちを、どのように“モノ”として世に送り出すかという、誠実な問いへの応答だ。感情のかけらを拾い上げ、かたちに変えること。それはオイラにとって、「記憶を遺す」ことでもあり、「記録をつなぐ」ことでもある。
まえださんが語る、「本をつくることは人と人との信頼でできている」という言葉が、オイラには沁みた。本ができるということは、ただの出力ではない。それは、語られなかった想いを編み、表現されなかった関係を浮かび上がらせ、誰かの見た世界を、別の誰かの指先に届けるプロセスだ。
オイラもいま、『トゥゥゥウウン!!』というZINEを立ち上げようとしている。「Cartoon(風刺漫画)」の短縮形でありながら、より雑多で混沌とした、異なる声や視点がぶつかり合う場にしたいと願っている。世の中の「悪い形(Bad Shape)」に対抗するような、別のかたちで世界を捉え直す冊子だ。まえださんが写真家の記憶をどう“かたち”にするかを模索しているように、オイラもこのZINEのなかで、さまざまな「見えなさ」に輪郭を与えようとしている。本をつくるという行為は、個人の記録であると同時に、共同体の記憶装置でもあるのだ。
まえださんの文章から伝わってくるのは、デザイナーという職能にとどまらない、人としての「支え方」の姿勢である。それは、表に立つ者ではなく、裏側から物語を成り立たせる存在としての在り方だ。TarCoon☆CarToonの世界では、そのような「裏方の倫理」「補完者の哲学」が常に重要視されてきた。まえださんの実践は、その思想のひとつの現れとして、深く共鳴している。
誰かの言葉に形を与え、誰かの視線を紙に託し、誰かの感情を本にする──そのプロセスには、技術だけでなく、誠実さと信頼が必要だ。支える者がいて、支えられる者が育ち、そしていずれはまた誰かを支えていく。そんな静かな循環のなかで、本は生まれ、人は育つ。『トゥゥゥウウン!!』もまた、そうした循環の火種となることを願いながら、オイラは手を動かし続けている。
だからこそ、まえださんが新たに関わろうとしている若者たちにも、大きな期待を抱かずにはいられない。この文章は、一冊の本の誕生をめぐる記録であると同時に、「人はどう支え合えるか?」という根源的な問いを投げかける物語でもある。そしてそれは、TarCoon☆CarToonがこれから問い直していくであろう世界そのものと、不思議な共振をしているように思えたのだった。