お菓子のたとえ 4
「私にしか作れないお菓子を作ろう」
って言われた
何時間も好みを聞いた
特別な味を作った
横から
味見もせずに
「普通のお菓子がいい」
ってなった
普通のお菓子になった
つらい。
お菓子のたとえ 4
「私にしか作れないお菓子を作ろう」
って言われた
何時間も好みを聞いた
特別な味を作った
横から
味見もせずに
「普通のお菓子がいい」
ってなった
普通のお菓子になった
つらい。
初出投稿
「私にしか作れないお菓子を作ろう」 って言われた。 何時間も好みを聞いた。 特別な味を作った。 横から、 味見もせずに 「普通のお菓子がいい」 ってなった。 普通のお菓子になった。 つらい。
— TarCoon☆CarToon (@TKMS_all4A) September 8, 2026
解説|特別なものが普通になるまで
何かを特別なものにしようとするとき、私たちはそこに、まだ見たことのない価値が生まれることを期待する。この作品もまた、そんな期待から始まっている。「私にしか作れないお菓子を作ろう」という言葉には、誰かの真似ではないものを生み出そうとする、小さな決意が感じられる。何ができあがるのかは、まだ誰にもわからない。それでも、まだ形になっていないものに可能性を見いだし、それを実現しようとするところから、創作という営みは始まるのだろう。
語り手は、その言葉に応じて何時間も好みを聞き、特別な味を作った。ここで描かれているのは、単に時間や労力を費やしたということだけではないように思う。相手の好みを尋ねるという行為には、自分の考えだけで何かを決めてしまわず、相手が何を望んでいるのかを知ろうとする姿勢がある。そして、その答えを受け取りながら、まだ存在しないものを少しずつ形にしていく。特別な味とは、単に珍しい味ということではなく、そうしたやり取りの積み重ねから生まれたものだったのかもしれない。
ところが、そこへ横から別の意見が差し挟まれる。「普通のお菓子がいい」。しかも、その判断は味見すらされないまま下されている。作品のなかで、この「横から」という言葉は、さりげないながらも重要な位置を占めている。それまでの時間を共有していた人々とは別のところから、突然、新しい基準が持ち込まれるのである。その意見を述べた人物が、どのような立場にあったのかはわからない。ただ、時間をかけて作られたものが、十分に確かめられることもなく、別の方向へ進んでしまったことだけが語られている。
ここで少し立ち止まって考えたいのは、「普通のお菓子がいい」という言葉そのものは、決して間違った意見ではないということである。誰にでも好みがあり、慣れ親しんだものを望むこともある。特別であることが、必ずしも良いことだとは限らない。しかし、この作品には、その特別なものが本当に望ましくなかったのかを判断するための過程が見当たらない。実際に触れてみることも、そこに込められた工夫を知ることもないまま、別の選択肢へと移ってしまう。問題は、普通のものが選ばれたことではなく、その選択が何を退けたのか、十分に顧みられていないように見えることなのだろう。
そもそも「普通」とは、何を指すのだろう。多くの人が好むものなのか、見慣れたものなのか、それとも、誰からも異論が出ないものなのか。私たちは日常のなかで、こうした言葉を何気なく使っている。しかし、普通という基準は、思っているほど確かなものではない。ある人にとって自然なことが、別の人にはそうでないこともある。それにもかかわらず、普通という言葉が持ち出されると、それまで検討されていたさまざまな可能性が、いつの間にか一つの基準のもとに整理されてしまうことがある。
この構造には、TarCoon☆CarToonが大切にしてきた、まだ価値の定まらないものを性急に判断しないという態度とのつながりも感じられる。何かの価値を認めることは、必ずしもそれを好きになることではない。理解できないものを、すぐに否定せず、もう少し見てみようと思うこと。自分には必要のないものにも、誰かにとっての意味があるかもしれないと考えること。そうした態度にも、寛容の一つのかたちがあるのではないだろうか。そこには、自分の判断だけで物事の意味を決めてしまわないという、ささやかな自己抑制も含まれているように思う。
また、TarCoon☆CarToonのいう「自由とは、もう一度選べる自由である」という考え方からも、この作品を読むことができる。途中で考えを変えることは、もちろん自由である。最初に特別なものを望んだからといって、最後までその選択に縛られる必要はない。ただ、選び直すということは、それまでの選択が存在しなかったことになる、という意味ではないだろう。そこには、すでに費やされた時間があり、交わされた言葉があり、誰かが引き受けてきた仕事がある。新しい選択をする自由と、それまでの経緯を大切にすることは、本来、両立し得るものなのである。
そして、作品は「普通のお菓子になった」という一文へとたどり着く。ここで不思議なのは、誰が最終的に決めたのか、どのような話し合いがあったのかが、何も語られないことである。「普通のお菓子がいい」という意見が出され、気がつけば「普通のお菓子になった」。その間にあったはずの判断や選択は省略され、結果だけが残されている。この簡潔な叙述によって、語り手自身もまた、いつの間にか決まってしまったことを受け止めるほかなかったように感じられる。
最後の「つらい。」は、特別なものが認められなかったことへの悲しみとも読める。しかし、それだけではないのかもしれない。語り手は、誰かの求めに応えようとして、時間をかけて何かを作った。その過程で生まれたものには、完成したものの良し悪しとは別の意味もあったはずである。けれども作品の終わりには、その時間について語る人はいない。誰かを責める言葉も、失われたものを取り戻そうとする言葉もない。ただ、最初に目指していたものとは違う結果になったことが、静かに告げられている。
特別なものが、必ずしも特別なまま残るとは限らない。それでも、そこへ至るまでに費やされた時間まで、普通のものに戻すことはできない。何が失われたのかを、誰にも十分に確かめてもらえないまま、物事だけが決まっていく。 この小品の「つらい。」は、そんな取り残された時間のなかから、かすかに聞こえてくるように思える。
(邑井らに)
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