お菓子のたとえ 6

何度もお菓子を渡された

「もういいよ」
って断った

「嫌なら食べなきゃいいだろ!」
「いつ黙ってくれる?」
「もううちの店には来るな!」
って言われた

出禁になった

お菓子はいつも
向こうから持ってきた

つらい。

お菓子のたとえ 6

何度もお菓子を渡された

「もういいよ」
って断った

「嫌なら食べなきゃいいだろ!」
「いつ黙ってくれる?」
「もううちの店には来るな!」
って言われた

出禁になった

お菓子はいつも
向こうから持ってきた

つらい。

初出投稿

解説|断ることが許されないとき

何かを差し出されたとき、それを受け取ることも、受け取らないことも、本来は自由なはずである。好意であればなおさら、その受け取り方まで相手に決められるものではないだろう。しかし、人と人との関係においては、差し出す側の善意が、いつの間にか受け取る側の義務のように扱われてしまうことがある。この作品で描かれているのは、そんなささやかな関係のずれが、思いがけない排除へと変わっていく不条理である。

冒頭で、語り手は何度もお菓子を渡されている。どのような経緯で始まったのかは語られないが、少なくとも、繰り返し差し出されてきたことはわかる。そして、語り手は「もういいよ」と断る。この言葉には、相手を責める響きも、これまでの行為を否定するような強さもない。ただ、これ以上は必要ないという意思が、短く示されている。ところが、その穏やかな拒否に対して返ってきたのは、思いがけず激しい言葉だった。

「嫌なら食べなきゃいいだろ!」。この言葉だけを取り出せば、もっともな意見にも聞こえる。嫌なものを無理に受け取る必要はないし、食べるかどうかは本人が決めればよい。しかし、語り手はまさにその自由を行使して、すでに断っているのである。拒否する自由を認めるような言葉が、実際に拒否した人間への非難として使われている。ここには、言葉の意味と、それが発せられた状況との間に、奇妙なねじれがある。相手の言っていることは、一見すると正しい。それなのに、その正しさが、目の前の出来事には少しも当てはまっていない。

続く「いつ黙ってくれる?」という言葉は、さらに不可解である。少なくとも作品に記されたやり取りでは、語り手は繰り返し何かを要求していたわけではない。何度も差し出されていたものを、一度断っただけである。それがいつの間にか、相手を困らせ、黙ることを求められる立場へと変わっている。もちろん、作品に書かれていないやり取りがあった可能性は残る。しかし、ここに示された言葉だけを追うならば、語り手の拒否が、相手にとっては何かを妨げる行為として受け止められているように見える。断るという行為そのものが、相手に対する攻撃であるかのように扱われてしまうのである。

そして、ついには「もううちの店には来るな!」という言葉が投げかけられる。ここで、それまでのやり取りは、単なる好意の受け渡しから、関係そのものを断ち切る問題へと変わっていく。相手には、自分の店に誰を迎えるかを判断する自由があるだろう。しかし、その判断がどのような経緯で下されたのかは、別の問題である。語り手は、差し出されたものを断った。その結果、今度は自分自身が拒まれる側になってしまった。受け取らないという小さな選択が、そこに居ることさえ許されないという結末に結びついている。

この構造は、TarCoon☆CarToonが考えてきた「自由とは、もう一度選べる自由である」という言葉とも深く響き合う。自由とは、最初に何かを選べることだけではなく、途中で考えを変えたり、それまで続けてきたことをやめたりできることでもある。昨日まで受け取っていたものを、今日は断ってもよい。相手に好意を持っていたとしても、その好意に応え続ける義務が生まれるわけではない。そして、その自由は差し出す側にもある。渡すことをやめる自由も、関係を終える自由も、互いに認められてよいはずである。ただ、どちらか一方の選択だけが尊重され、もう一方の選択が非難の理由となるとき、その関係には何か不均衡なものが生じているのではないだろうか。

また、TarCoon☆CarToonの掲げる「寛容∥自己抑制∥不文律」という標語からも、この作品を読むことができる。寛容とは、相手が自分の好意を受け取らないことも認められる態度ではないだろうか。そして自己抑制とは、善意で始めた行為であっても、相手が望まなくなったときには、その意思を尊重して立ち止まることなのかもしれない。誰かのために何かをしたという事実は、その人の意思を決める権利まで与えるものではない。好意が関係を豊かにすることもあれば、好意であるという理由によって、かえって断りにくい関係が生まれてしまうこともある。

もっとも、この作品は相手の怒りの理由を詳しく説明していない。語り手の拒否がどのように受け止められたのか、なぜ排除にまで至ったのか、その内実はわからない。だからこそ、相手の行為を一方的に断罪するよりも、ここでどのような認識の食い違いが起きているのかに目を向けたい。関係を続けることも、終えることも、本来は人それぞれの自由である。しかし、その自由を守るために相手の自由を否定し始めるのだとしたら、私たちはいったい何を守ろうとしているのだろう。

最後に置かれた「お菓子はいつも向こうから持ってきた」という一文は、それまでの出来事を静かに振り返らせる。語り手は、自分から求め続けていたわけではなかった。それなのに、断ったことで、まるで自分が関係を乱したかのような立場に置かれている。この一文には、反論のような強さはない。ただ、最初に誰が何を始めたのかという事実が、そっと差し戻されている。その控えめな言葉によって、相手の激しい非難が、かえって不可解なものとして浮かび上がってくる。

誰かが差し出してくれたものを、ありがたいと思うことはできる。それでも、もう必要ないと伝えることもできるはずである。断ることは、必ずしも相手を拒絶することではない。 けれども、その違いが伝わらないとき、関係は思いがけないかたちで終わってしまうことがある。語り手は、ただ受け取ることをやめようとした。それが、相手との関係まで失うことにつながってしまった。その間に何があったのかを確かめる言葉もないまま、最後に「つらい。」だけが残されている。

(邑井らに)

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