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世界を渡せる形にするのは、アートかデザインか。 ──テーマ『デザイン』ハツデン...! に4月号に寄稿して

本記事では、雑誌『ハツデン…!』4月号に寄稿した文章「世界を渡せる形にするのは、アートかデザインか。──パッケージにして封をする」をブログ向けに掲載します。一般にデザインは「問題解決」として語られがちですが、その「問題」は誰のためのものなのか。そうした問いを起点に、出来事を“渡せる形”へ変換し、作品として封をするという発想から、アートとデザインの境界を捉え直していきます。

*本記事は、雑誌『ハツデン...!』「本について」特集に「どこにもない言葉を、残る足跡としていまここに呼ぶ」という題で寄稿しています。ぜひ本誌でもご覧ください。

パッケージにして封をする

問題を解決してこそデザインだ、というのは高校で習った。あと、何かを作る時には「商品をつくれ」「売れるものをつくれ」「買った人に不満が出ないようにつくれ!」と叩き込まれた。
そんな教えを受けたから、売り上げを上げたい、可愛く見せたい、注意してほしい、迷わず使えるようにしたい、すぐに使える状態に整えたい。現実にある目的と制約の中で、望む状態へ近づけるデザインの技術は、オイラ自身も仕事柄、その定義の便利さも強さも、よくわかってる。

でも、その「問題」って誰のものなんだろうか、って思うことがある。学校では「お客さんのため」って話だった。けれど、そこにあるのは他者だ。
売り上げとか導線とか注意喚起とか、確かに問題はある。けど「何を問題と呼ぶか」を決める時点で、もう世界の輪郭線は引かれてしまっていて、その引き方こそがデザインなんじゃないか。オイラはそう思ってしまう。
線を引けば、世界は扱えるサイズになる。その一方で、線の外側は切り落とされる。だからデザインには、解決だけじゃなく、選別の匂いがつきまとう。ここで息が詰まる人がいるのは自然な話だ。だって、自分自身の内面から感情的に湧き上がる問題意識は、無視しなきゃいけない場面が出てくるんだもの。

オイラが自分の「最初のデザイン」を思い出すと、そこには問題解決よりも先に、もっと素朴で、もっと切実な衝動があった。

世界を渡せる形にする。
出来事を作品として封をする。

この二つだ。

高校生の頃に買った中古のMacとPhotoshopで、フライヤーを作って遊んでいた。それは遊びだったけど、遊びで終わらせたくない気持ちが、ずっと一緒にいた。文化祭では映画を作った。上映するだけでなく、データCD版とVHS版を作って、パッケージにして売った。みんなからお金を集めて、印刷して、ジャケットをデザインして、手作りだけど、ZINEみたいに「商品」の形にした。
あれは売上最適化でもないし、ユーザーインタビューでもない。けど確実に、出来事を持ち運べるものに変えていた。あの場の熱が、棚に置ける物体になる。年月が経っても、あとから開封できる状態にしていた。封をすることで、逆に呼び出せるようになる。消えていく速度に対して、せめて輪郭線だけでも残そうとする。オイラのデザインは、最初からそういう種類のものだったのかもしれない。

とは言ってもオイラは、売れるデザインができたと胸を張れたことはないし、お客さんに喜んでもらえるものも作れた試しがない。そんな時、オイラは自分がやっているのはデザインではなくアートなのではないか、って思えてきた。よくある「デザインかアートか?」という見方の話だ。
オイラはずっと、内向性がアートで、外向性がデザインだと思っていた。アートは自分の内側の必然、デザインは他者との関係の中で成立する責任。そう考えると、デザインは相手に合わせる技術に見えて、急に窮屈になる。

でも、「渡せる形にする」「封をする」って、内向きの衝動でもあり、外向きの責任でもあるんだよな。封をしなければ渡せない。渡せなければ共有されない。共有されなければ、最初から無かったものみたいに扱われることすらある。
それが怖いから封をするのか、封をしたいから渡すのか。どっちが先かは分からない。けど、どちらにせよ、ここにはアートもデザインも混ざっている。つまり、世界を渡せる形にすることは、アートでもあり、デザインでもある。境目は「表現か実用か」じゃなくて、「どんな封の仕方を選ぶか」なのかもしれない。余白を残す封もあるし、迷いを減らす封もある。オイラがやってきたのは、その両方を往復する封だった気がする。

だから、あえて少し乱暴に言う。デザインで悩んで、うまくやれていない人に向けて伝えたいのは、何かを言い訳にするな、ということ。

自分は好き勝手する。好き勝手する権利は、誰にでもある。
でもその一方で、人が集まらないとか、売り上げにつながらないとか、思ったほど届かないとか、そういう現実が出てきたときに、「他責の魔」が湧くことがある。自由にやりたい。けど結果も欲しい。届かないのは世界が悪い。分からない客が悪い。センスが分からない周りが悪い。そういう魔だ。
もし本気で結果が欲しいなら、きちんと専門家の意見を聞いて、言われた通りにしろ!ってことだ。だって、結果を取りに行くってことは、好みやクセよりも、届くための技術を優先するってことだろ? そこを渋りながら「届かない」って嘆くのは、たぶん自分をいちばん消耗させる。

逆に、好き勝手やるなら、好き勝手の代償として届かなさを引き受ける覚悟がいる。自分がいいと思ってやってるなら、それでいい。自由は気持ちいい。でも自由は、言い訳の材料にもなる。だから、魔を飼わないためには、どこかで選ばなきゃいけない。
オイラは今日も、封をする。渡せる形にする。その封がアートなのかデザインなのか、まだ断言はできない。けど少なくとも、封をする以上、届かなさと、届かせ方の両方に責任が発生する。デザインとは、たぶんその責任の引き受け方のことなんじゃないか。オイラはいまは、そう考えている。デザインにしてパッケージにするのは、とても楽しい。

(この記事は2026年2月9日に執筆したものです。)

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