本記事では、雑誌『ハツデン…!』に寄稿した文章「どこにもない言葉を、残る足跡としていまここに呼ぶ」をもとに、消える記録と残る媒体のあいだで、オイラが改めて感じた「本の価値」を辿ります。大統領の投稿でさえ企業判断で消えてしまう出来事に触れたとき、自由や歴史の保存はこんなにも脆いのかと、正直ショックだった。その感覚が、紙の本やZINEの「残り方」へと視線を引き戻しました。
あわせて、TarCoon☆CarToonのアートプロジェクト「ISNOWHERE(イズノウィア)」にも触れます。本は棚に“ある”のに、意味はまだ“いない”。読むという行為が、その不在を呼び出してしまう。読むことを「現前の装置」として捉えるとき、残ることの残酷さと救いが、同じページに並んで見えてくるのだと思います。
*本記事は、雑誌『ハツデン...!』「本について」特集に「どこにもない言葉を、残る足跡としていまここに呼ぶ」という題で寄稿しています。ぜひ本誌でもご覧ください。
どこにもない言葉を、残る足跡としていまここに呼ぶ
一回目のトランプ大統領の時だったか、その後だったか。大統領でさえ、Twitterのアカウントが消される、という出来事が起きた。
国の代表である大統領の言葉ですら、企業の一存で、歴史的な記録になり得たはずの投稿がごっそりと消えてしまう。後世から見れば価値を持ったであろう呟きだって、きっと混じっていたのに。
一企業に、そんな大きな力が与えられている。すごいことだと思う。けれど同時に、オイラはそれを「自由な世界」とは素直に呼べなかった。
誰かに、何かに依存している以上、仕方がない。理屈としてはわかる。でも、わかったうえでショックだった。記録が消えるという事実は、言葉が消えるというより、「存在の証拠」が消える感覚に近かったからだ。
そこからオイラは、「本」というものの価値を、やけに意識し始めていた。
燃やしてしまえば、本だって消える。大切な歴史的記録が失われる点では、紙も脆い。けれど、データみたいに規約や運営の都合で、ある日突然まるごと見えなくなるのとは違う残り方をする。誰かの本棚に挟まっているだけで、しぶとく生き延びることがある。
ちょうど同じ頃、ZINEのイベントに行った。そこにはアートな作品が溢れていて、紙の匂いと、手触りと、作り手の体温みたいなものが漂っていた。
その中で特に印象に残ったのが、磁器で作られた「本」だった。燃やせない。しかも、いつまでも残り続ける。面白いな、と素直に思った。同時に、残るというのは足枷にもなるんだろうな、とも思った。残るということは、逃げられないということでもあるからだ。
でも、そのときオイラは、もう一つ別のことを考えていた。
残るか消えるか以上に、「そこに在るのに、まだ居ない」という状態があるんじゃないか、ということだ。本は棚にあるだけでは、ただの物体だ。文字も印刷されている。でも、意味だけが、まだ居ない。読むという行為が始まった瞬間に、居なかったはずの意味が、急にここへ来る。そんな“不在の現前”がある。
だからオイラは、ISNOWHEREというアートプロジェクトをやっている。
ISNOWHEREは、オイラが寄稿した本や、繰り返し読み返してきた愛読書に、オリジナルのカバーをかけて再構成していく「本のシリーズ」でもある。
どの本も表紙には「ISNOWHERE」とだけ書かれていて、中身が何なのかは、くり抜かれた小さな窓から覗くチェキ写真の気配と、実際にページをめくることでしかわからない。
「ISNOWHERE」という綴り自体も、分け方で意味が反転する。IS NOW HERE(いま、ここに在る)とも読めるし、IS NOWHERE(どこにもない)とも読める。
この言葉遊びは、ただのトリックじゃなくて、オイラにとっての読書の核だ。本は、棚にあるだけでは「不在の在庫」に過ぎない。けれど、誰かが手に取り、ページをめくった瞬間に、その言葉は「いま・ここ」に現れて、読む者の思考と反応を起こす。読むという行為そのものが、意味を呼び出してしまう。
オイラはこれを「現前の装置」と呼んでいる。
「いつまでも残り続ける」というのは、足枷になることもある。
それでも、振り返ったときに残るのは足跡だ。自分らしき何かの痕跡が、そこに刻まれてしまう、ということだ。
人の記憶なんて、せいぜい数年。死んでしまえば、半世紀も経たないうちに、名前は薄れていく。
でも本や記録に残ることで、誰かに「覚えてもらえる」瞬間が生まれる。キリストがみんなに覚えておいてもらえたのは、聖書があったからだろ?
もちろん、そこに残っているのは「本物そのもの」じゃない。むしろ、本物からかけ離れた、わけのわからない思いの集まりでしかないのかもしれない。それでも、痕跡は痕跡として残る。
本には、そういう魅力がある。残酷さと、救いが同居している。
オイラが作るZINEも、この「ハツデン…!」という雑誌も、たぶん同じように残り続けるのだろう。いつか、子供か孫が、部屋の大掃除をしたときに、亡くなったおじいちゃんやおばあちゃんの本として、「なぁにぃ?これ?」と言いながらページをめくる。
その瞬間、ふっとオイラたちは浮かび上がるんだと思う。そこに生きていた人間の痕跡として。
残るって、結局、どういうことなんだろうね。
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