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「よくわからんけど、好き」への返事 ──古田更一によるTarCoon☆CarToon論を読んで

古田更一くんに「『ABC 危機管理の哲学 〜やがて生活が思想になる〜』を読め」と言われたので、ちゃんと買った。そこで「買ったんだから、今度はTarCoon☆CarToonについて何か書いてくれ」と言ってみた。そうしたら、本当に書いてきた。それも1万5千文字。頼んだのはオイラだけど、長い。これは、そこからさらに生まれてしまった文章である。

*この記事は、古田更一氏による「TarCoon☆CarToon論──『よくわからない』を楽しむための偶像論〜思弁的実在論的補論も載せて〜」を読んで書いた応答文です。
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目次

古田更一の中にいたTarCoon☆CarToon

古田更一くんが、TarCoon☆CarToonについて、とても長い文章を書いてくれた。ほんと長い。めちゃくちゃ長い。無駄に1万5千文字ある。仕方がないので読んだ。何度も同じことを繰り返される内容。改行も多すぎてしんどい。たぶん全部読む人はそんなにいない。なので、まずオイラなりに、『TarCoon☆CarToon論──「よくわからない」を楽しむための偶像論〜思弁的実在論的補論も載せて〜』で古田くんが何を書いていたのかをまとめておきたい。

古田くんが書いていたのは、「TarCoon☆CarToonとは何者なのか」という人物論ではなかった。むしろ逆で、「TarCoon☆CarToonは、よくわからないままでいい」という話だった。よくわからないから、もう一度見る。調べる。誰かに聞く。話す。笑う。好きになる。何かを作る。誰かに教える。そこからまた別の人がTarCoon☆CarToonを見る。古田くんは、その連鎖そのものをTarCoon☆CarToonの作品として読んでいた。だから、絵や文章やステッカーやイベントだけが作品なのではない。それを見た人が何をしたのか、誰と出会ったのか、何を話したのか、何を作ったのか。そこで生まれた人間関係まで含めて作品になっていく。そして、その過程で見る人の中にも、それぞれ違うTarCoon☆CarToonが生まれる。

古田くんは「本人だけがTarCoon☆CarToonなのではない。見る人の中にもTarCoon☆CarToonがいる」と書いていた。ここが、オイラには一番面白かった。というのも、この文章そのものが、まさにそれをやっているからだ。古田更一がTarCoon☆CarToonを見る。古田更一の中に「こう見えたTarCoon☆CarToon」ができる。それが文章になって外へ出てくる。今度はオイラがそれを読む。すると、自分ではそんなふうに説明していなかったTarCoon☆CarToonが、そこにいる。そして、それを読んだことで、オイラ自身のTarCoon☆CarToonについての理解まで少し変わる。

変な話だ。TarCoon☆CarToonについて書かれた文章を読んで、TarCoon☆CarToonが変わってしまう。でも古田くんの論に従えば、たぶん、それでいい。TarCoon☆CarToonは最初から完成したキャラクターではなく、人に見られ、解釈され、語られ、誤解され、ときには批判されながら更新されていく「偶像」なのだから。

そう考えると、最近オイラが始めた共同観測所についても、少し違う説明ができる気がした。共同観測所では、TarCoon☆CarToonについて一つの正しい定義に固定しない仕組みにしている。いろんな人やAIがTarCoon☆CarToonを観測する。同じものを見ているはずなのに、それぞれ少し違うことを言う。その違いを消して正解を決めるのではなく、「この人にはこう見えた」「このときにはこう見えた」という観測の履歴を残していく。そうすることで、TarCoon☆CarToonというもの自体が少しずつ変わっていく。古田くんの文章を読んでいて、これは「見る人の中にもTarCoon☆CarToonがいる」という話と、かなり近いのだと思った。

そして、もう一つ印象に残ったのが、「好き」と「わからない」は両立する、という話だった。古田くんは最後に、TarCoon☆CarToonのことを全部わかっているわけではない、全部理解しているわけでもない、全部に賛成しているわけでもない、と書いている。それでも、「好きだ」と書いている。オイラはこれが嬉しかった。「理解してくれたから嬉しい」ということではない。むしろ逆で、「全部理解しなくても関係は成立する」と書いてくれたことが嬉しかった。

人間同士って、本当はそのくらいでいいんじゃないかと思う。相手を完全に理解してから好きになるわけではないし、好きな人の言うこと全部に賛成する必要もない。「そこはようわからん」「それは違うと思う」「なんやねん、それ」と言いながら、それでも関係が続いていく。古田くんの文章では、それが「余白」と呼ばれていた。考えてみれば、TarCoon☆CarToonがずっと言ってきた「よくわからないことを楽しんでください」も、そういうことだったのかもしれない。

そして、この文章を読んでから、「だってキミ、オイラのことスキでしょ?」という言葉まで、オイラには少し違って見えるようになった。これまでは、かなり図々しい冗談として使っていた。でも、もしかするとこれは、「オイラのことを全部理解しなくてもいいし、全部に賛成しなくてもいい。それでも関係を続けられるでしょ?」という問いでもあったのかもしれない。もちろん、そこまで考えて言っていたわけではない。後から意味が生えてきただけだ。でも、それもまた古田くんの言うTarCoon☆CarToonなのだろう。

自分で決めた意味だけがTarCoon☆CarToonなのではなく、誰かが見つけた意味が戻ってきて、またTarCoon☆CarToonを作っていく。そういう循環が起きている。だから古田くん。長い文章を書いてくれて、ありがとうございます。全部「その通りです」と言いたいわけではないし、「オイラのことを完全に理解してくれました」と言いたいわけでもない。むしろ、古田くんの中にできたTarCoon☆CarToonを見せてもらえたことが面白かった。そして、それを見たことで、オイラの中にいるTarCoon☆CarToonまで少し変わった。たぶん、こういうことが起きること自体が、TarCoon☆CarToonなんだと思います。

だから最後に、古田くんが文章の最後で返してくれた答えに、こちらからも返しておきます。「たぶん好き。よくわからんけど。」

うん。それでいい。

だってキミ、オイラのことスキでしょ?

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