【映画観】ぼっちゃんみてきましたよ…と。

eigakan
Hi! ハローハロー!!
映画を観ないくせいに映像作る”たーくんです!
先日、”映画を観る”一人企画『映画観』をやりましたよ…と。
一人企画というのは自分の中でのみ存在する企画です。
今回は職場の”おともだち”と映画を見に行きました。もちろん一人企画なので『映画観』という事はその場では公言しません。
『映画観』というのは、ただ映画を観るのではなく、必ずなんらかの批評をする事が決まっております。
つまり、公言しない理由は、公言してしまうと映画の批評をしなくてはならなくなってしまい、一人企画の楽しみなはずが義務感を生じて楽しみではなくなってしまうからです。
残念な事に、今回はTwitterで「今日は『映画観』」と公言してしまった為に自分を追いつめてしまいました。
映画の観了後、「う〜ん」と唸ってしまったのはこの為です。
ちなみに、以前ブログで書いた風立ちぬの記事も同じく『映画観』の企画と言えるでしょう。
ブログのリンク
さてさて、今回見た映画は秋葉原無差別殺傷事件(通称秋葉原通り魔事件)をモチーフにした『ぼっちゃん』です。
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物語が、あの2008年の秋葉原無差別殺傷事件をモチーフにしているという事もあり、胸くそ悪くなる感じか、やるせない気持ちになるのでは?と思っていました。
映画は作り物だけれども、説得力を持って加害者側に立てるし、被害者側にだって立つ事ができる。
だから恐ろしいのであって、映画を見ている自分があの許す事のできない大量殺人事件を起こした加害者の気持ちに寄り添ってしまうかも知れないという事を経験できるのも映画の面白さだと思うのです。

 
 

加害者の苦しみを描くのか?加害者を糾弾するのか?

タイトルが『ぼっちゃん』なので、本作はきっと加害者である、加藤智大に寄り添ったものになるだろうと予想しておりました。
それなりの覚悟を決めて観に行きました。
何故、あの事件を起こしてしまったのか?
決して、あの事件を起こした犯人には同情したくはないけれども同情してしまう、そんな作りなのかな?と思っていました。
耐え難い苦しみや悲しみが襲ってきたら、それから逃げ出す為に自分も加害者側になってしまうかもしれない。
だからこそ、第2、第3の事件を起こさない為にも、そういった描かれ方はありだと思うのです。映画ですから。
逆に加藤智大を徹底的に糾弾する映画でも良い。どんな理由があろうとも被害にあった人の苦しみや悲しみを伝える事は勿論大切ですから。
でもまぁ、これは、良くも悪くも映画だったんですよね。
 

テーマではなくモチーフあくまでもフィクション

メインとなる登場人物は3人います。
梶、岡田、田中。
映画の冒頭で3人が揃った事から、これは3人の映画なのだろうと直ぐにわかった。
梶はその風貌から、事件を起こした犯人のモデル。
イケメンの立ち位置にいる岡田。驚く事にこの岡田は連続殺人犯。
梶の友達ポジションの田中、田中はハゲという事を気にしているらしい。
後半に行くまで気付かなかったのだけど、このメインの登場人物は多分全員、実際に事件を起こした加藤智大という人物を3人に分けたのだろうと思う。
一人の人物を3人に分ける事で、その人物の内面を丁寧に映し出そうとしたのではないかと。
例えば、田中のあまりにもホモホモしぃシーンは自己愛の象徴だとか、岡田の異常性や傲慢さは犯人の暴力性の現れだとか…。
と思ったのだけれど、観了後。う〜ん。それは考え過ぎだなと即座に撤回したくなりました。
 

あまりにも事件と向き合っていない

人を殺すという事があまりにも軽く扱われすぎている。
問題なのは岡田である。
岡田は女を拉致強姦殺人を犯す異常者なのだけれども、岡田の異常性と実際に事件を起こした加藤智大の異常性がどうもつながらない。
連続殺人と大量殺人の性質は全く違うもので、岡田は連続殺人犯で、逮捕されないように巧みに犯罪を繰り返し犯罪行為を楽しんでいる。
しかし、実際の加藤智大は、最初から逃亡する気持ちはなく、逮捕されている。
岡田の異常性と実際の犯人の異常性には結びつかないんですよね。
逆に被害者に寄り添っているかというと、全くそうではなく被害者の描写は全くと言っていい程無い。ただ殺されただけ。
だから、物語のテーマが見えないんですよね。非常に語りにくい。
 

心の中が見えない

人物描写は素晴らしかった。梶の行動にしても、田中にしても、話し方や、人との距離感でこういう人は居るよね。っていうのは納得したし、だからこそ後半に進むにつれてこういった人たちが、どのような経過を経てあの事件を起こすのか?というものが気になったし、期待していた。
でも表面的な演技だけで心の内側までは描かれていなかったように思う。
「なぜあのような事件が起きたのか」「どうしたら起きずにすんだのか」という事を考えるのであれば、梶のあの屈折した性格になった原因と条件をきっちり見せてほしかったし、また同じくブサイクで友達の居ない田中の性格はなぜ屈折しなかったのか?とか、岡田はイケメンだけど異常者になってしまった過程に説得力を持たせる。という3人の心の中を見れればまだ納得できたのだと思う。
もしくは、加藤智大という人物を3人に分割したのだから、3人の関係性によって事件に結びついてしまうという展開でも面白かったはず。
 
話は変わるけどね、リーガルハイで整形をした元ブサイクの美女が泣きながら言った台詞の方が心にきたね。
「ブスはね、ブスなりに生まれもった自分の顔が好きなの。でも好きになれないように周りがするんだもの、仕方ないじゃない。仕方ないのよ、こんな世の中じゃ。」
 

監督は事件の原因を犯人の内面だけに押し込めたかったのか?

リーガルハイでは何故ブサイクが整形をしてしまったのか?がたった一言の台詞で描かれています。
おいらはあの台詞だけで何とも言えない気持ちになったのだけど。
自分では必死に抵抗しているんだけど、周りがそうはさせてくれなかったというのは、今日の社会問題の大きなファクターだと思うんですね。
整形しないでいよう!ブスなままで向き合おう!そうやって生きてこようと努力してきた。でもそれをみんなが許してくれない。ブスは就職できないし、ブスは誰も寄り添ってくれない。それで仕方なく事を起こす事もあれば、爆発して事が起きてしまったというのはあるはずなんですよ。努力が実らなきゃ内面だって歪んでくる。
ブスが整形したのは、少なくても半分は社会の問題でもあると思うんですよね。
でもだからといってそれは受け入れられない。ブスを受け入れる努力はするけど、気持ちは美人に向くでしょ?それが現実。だから何とも言えない気持ちになってしまう。
加藤智大の起こした秋葉原の事件を社会の所為にしたい訳じゃないし、悪いのは加藤自信なのだけれども、映画として観た時に、面白い映画かどうかは、観た人自身にどうしようもないよなと胸くそ悪くなる、やるせない気持ちにしてこそだと思うのです。モチーフがモチーフだけにね。
こんな状況に追い込まれたらやってしまうだろ、と犯人の気持ちは理解したくないけど、気持ちとしては何とも言えなくなってこそ、問題作になると思うんだよね。
でも、おいらには今回の『ぼっちゃん』という映画には、監督自身がその判断から逃げているように感じた。
犯人の行動の原因を社会の所為にしたくない。というよりかは、監督はこの映画を作りたくなかったんじゃないかな?とさえ思えてならない。
だって、何とも向き合ってないからね。加害者側にも被害者側にも、そして社会にも。「なぜあのような事件が起きたのか」「どうしたら起きずにすんだのか」という事を全部犯人の内側に押し込めているけど、犯人にすら詰め寄っていない。
 

コメディー路線じゃダメだったのかな?

劇中で何度か笑いを誘うシーンがあるんだよね。
例えば田中という人物はナルコレプシーという睡眠障害(おいらはてんかんだと思っていた)を患っているんだけど、ここぞという場面で気を失ってしまうんですよ。
これなんて、病気の人を馬鹿しているとしか言えないシーンなんだよね。別に病気の人の気持ちを蔑ろにしているとかそんなきれいごとを言いたい訳ではなくてね。あそこまでコミカルに描けるのであれば、事件を起こした人物の屑で性格悪くて、憎たらしい部分をもっと強調できたと思うし面白くなったと思うんですよ。映画ですから。でもそうはならなかった。
問題を社会の所為にしたくないのであれば、思いっきり加害者を馬鹿にして、そんなんだからダメなんだよ!と責め立てるぐらいでも良かったのにね。
 

どっちつかずで何が言いたいのかわからない

観了後、おいらがう〜んと唸っていると、一緒に観に行った友達が「何か心にきましたか?」と訊ねた訳ですよ。
そしたらすかさず別の友達が「違うよね?違うよね?」と言ってくれた訳です。
そうです。違うのですよ。
求めていたのとも違うし、心に何もこなかったし、はっきりいうとよくわからなかったんですよ。
何を伝えたいかもわからない。テーマもわからない。なんで秋葉原に向かったのかもよくわからない。
わかった事と言えば、監督は事件を良くわからないまま作ったのかな?という事だったんだよね。
これは作り手である監督の問題というよりも、観る側の問題なのかな?と思ってはみましたが、問題を監督の所為ではなく観客という大衆の所為にするのは、事件を起こした加藤が、問題の解決を自分自身に向ける自殺ではなく他人である大量殺人に向けてしまった事と同じ立場に立ってしまいそうで、なんだかなぁ〜と思う作品でもありました。
自分の内にある問題を外に向けてしまうのは、最近ではよくある話ですからね。
 

おいらがTwitterで書いた感想まとめ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おもったままを書いたものです。振り返ると思ってたのと違うという感想でしかないですね。まぁこれは事件をモチーフにしているという事もあって思っていたのと違うと感じてしまっても仕方の無い事だとは思います。

実際の事件の詳細


以下のリンクは実際の事件を起こした秋葉原通り魔事件について書かれたものです。
秋葉原通り魔事件(秋葉原無差別殺傷事件)について、心理学から考える
東京秋葉原無差別殺傷事件 事件について
秋葉原無差別殺傷事件 加藤智大 月刊精神分析
 

 

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